中国,北京市の昌平県の西北に当たる要害。太行山脈の支脈,軍都山脈の峡谷中に位置し,万里の長城を横断する要地を占める。河北平野からここを越えるとしばらく台地が続き,やがてモンゴル高原に達する。古く天下九塞の一つにあげられ,あるいは軍都陘(ぐんとけい)といって太行八陘の一つに数えられた。モンゴル高原から河北平野に南下する遊牧民の侵入を防御する第1の拠点で,今の北京に首都や陪都をおいた諸王朝にとっては,とくに関心が強かった。今日では京包鉄道(北京~包頭(パオトー))が通っている。関道は万里の長城の八達嶺を前線とし,南口を後衛として約20km,その間に500mの高低の差があって,関はその中央に位置する。周囲6km余の関城は,モンゴルの侵入がもっとも激しかった明代に築かれたもので,ここに隆慶衛(のち延慶衛と改名)をおき多数の守備兵を駐屯させた。今この関城の中心に道路をまたいで,大理石のアーチ型の門が立っているが,これは元代,1343年(至正3)に交通安全を祈って建造された過街塔の台座なのである。元の皇帝は毎年夏を内モンゴルのドロン・ノール(上都)で過ごすため,ここを通って北京(大都)との間を往復するのが例であった。もとは上にラマ塔が立っていたが,今日ではアーチ型の門だけが残り,雲台と称せられている。その内外にはチベット・中国様式の彫刻がほどこされ,とくに門内両壁にはサンスクリット,チベット,モンゴル(パスパ文字),ウイグル,タングート(西夏文字),漢の六体文字で陀羅尼と建立の由来などが刻されているので名高い。
執筆者:日比野 丈夫
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中国、北京(ペキン)市の昌平(しょうへい/チャンピン)県の北西、軍都(ぐんと/チュントゥー)山脈の峡谷に置かれた関門。峡谷は、北は万里の長城の八達嶺(はったつれい/パーターリン)から南は南口まで約20キロメートル、河北平野からモンゴル高原に通ずる要道で、その間の高低の差は500メートル。関はその中央を占め、古来、北京のもっとも重要な防御点であった。とくに元代には歴代皇帝がモンゴルへ避暑のため往復する街道にあたっていたので、1343年、交通の安全祈願と装飾とを兼ねてここに過街塔が築かれた。今日では塔はなくなり、台座(雲台といわれる)しか残っていないが、大理石製のアーチ型で内外に豪華な彫刻が施されている。また内壁にはサンスクリット、チベット、蒙古(もうこ)(パスパ文字)、ウイグル、西夏、漢字の六体文字で陀羅尼(だらに)が刻まれていて言語文字資料としても貴重。
[日比野丈夫]
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