居庸関(読み)キョヨウカン(その他表記)Jū yōng guān

デジタル大辞泉 「居庸関」の意味・読み・例文・類語

きょよう‐かん〔‐クワン〕【居庸関】

中国河北省、北京北西60キロにあった関所華北モンゴル高原を結ぶ要衝

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精選版 日本国語大辞典 「居庸関」の意味・読み・例文・類語

きょよう‐かん‥クヮン【居庸関】

  1. 中国、北京市の北西約五〇キロメートルにある万里長城八大関所の一つ。八達嶺のふもと約二〇キロメートルにわたる峡谷からなり、華北平原からモンゴル高原に至る通路に当たる。明代徐達が関の南口に城を築き、北京の北の備えとした。現在京包鉄道、北京から張家口公路が通じている。

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改訂新版 世界大百科事典 「居庸関」の意味・わかりやすい解説

居庸関 (きょようかん)
Jū yōng guān

中国,北京市の昌平県の西北に当たる要害。太行山脈の支脈,軍都山脈の峡谷中に位置し,万里の長城を横断する要地を占める。河北平野からここを越えるとしばらく台地が続き,やがてモンゴル高原に達する。古く天下九塞の一つにあげられ,あるいは軍都陘(ぐんとけい)といって太行八陘の一つに数えられた。モンゴル高原から河北平野に南下する遊牧民の侵入を防御する第1の拠点で,今の北京に首都や陪都をおいた諸王朝にとっては,とくに関心が強かった。今日では京包鉄道(北京~包頭(パオトー))が通っている。関道は万里の長城の八達嶺を前線とし,南口を後衛として約20km,その間に500mの高低の差があって,関はその中央に位置する。周囲6km余の関城は,モンゴルの侵入がもっとも激しかった明代に築かれたもので,ここに隆慶衛(のち延慶衛と改名)をおき多数の守備兵を駐屯させた。今この関城の中心に道路をまたいで,大理石のアーチ型の門が立っているが,これは元代,1343年(至正3)に交通安全を祈って建造された過街塔台座なのである。元の皇帝は毎年夏を内モンゴルのドロン・ノール(上都)で過ごすため,ここを通って北京(大都)との間を往復するのが例であった。もとは上にラマ塔が立っていたが,今日ではアーチ型の門だけが残り,雲台と称せられている。その内外にはチベット・中国様式の彫刻がほどこされ,とくに門内両壁にはサンスクリット,チベット,モンゴル(パスパ文字),ウイグル,タングート(西夏文字),漢の六体文字で陀羅尼と建立の由来などが刻されているので名高い。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「居庸関」の意味・わかりやすい解説

居庸関
きょようかん
Ju-yong-guan; Chü-yung-kuan

中国,河北省昌平県の北西,居庸山中の一峡谷にある関所。モンゴル地方と華北を結ぶ交通の要所で,軍都関ともいう。関に南口と北口 (八達嶺) があり,その間は 15km。関の南東 60kmに,,元,明,清各王朝の首都または陪都であった北京が位置したので,北方民族に対する防衛および交易上の最大の要地であった。元朝皇帝は関の南の大都 (北京) と北の上都との間を毎年往復したので,至正3 (1343) 年順帝はそこに過街塔を建設。その大理石造の台座 (雲台) が現在も残り,仏像の浮彫と6ヵ国語 (サンスクリット,チベット,パスパ,ウイグル,西夏,漢) の陀羅尼が刻まれており,言語研究上,重要な資料となっている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「居庸関」の意味・わかりやすい解説

居庸関
きょようかん

中国、北京(ペキン)市の昌平(しょうへい/チャンピン)県の北西、軍都(ぐんと/チュントゥー)山脈の峡谷に置かれた関門。峡谷は、北は万里の長城の八達嶺(はったつれい/パーターリン)から南は南口まで約20キロメートル、河北平野からモンゴル高原に通ずる要道で、その間の高低の差は500メートル。関はその中央を占め、古来、北京のもっとも重要な防御点であった。とくに元代には歴代皇帝がモンゴルへ避暑のため往復する街道にあたっていたので、1343年、交通の安全祈願と装飾とを兼ねてここに過街塔が築かれた。今日では塔はなくなり、台座(雲台といわれる)しか残っていないが、大理石製のアーチ型で内外に豪華な彫刻が施されている。また内壁にはサンスクリット、チベット、蒙古(もうこ)(パスパ文字)、ウイグル、西夏、漢字の六体文字で陀羅尼(だらに)が刻まれていて言語文字資料としても貴重。

[日比野丈夫]

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旺文社世界史事典 三訂版 「居庸関」の解説

居庸関
きょようかん

中国河北省,北京の西方60㎞にあった関所
秦代から天下九塞の1つに数えられる要所。北京からチャハル・内モンゴルをへて外モンゴルに至る大道が通過しており,現在は京包鉄道が敷設されている。元代には大都と上都との間をおさえ,順帝により1345年,過街 (かがい) 塔が築かれた。現在,その台座(電台)だけが残っているが,その門洞両壁には,サンスクリット・チベット・ウイグル・モンゴル・西夏 (せいか) ・漢の6種の文字で陀羅尼 (だらに) (経文)と建立縁起の賛歌などが刻まれている。

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百科事典マイペディア 「居庸関」の意味・わかりやすい解説

居庸関【きょようかん】

中国,北京の北西60kmにあった関。華北からモンゴリアに出る要道にあり,北京の守りとされた。遼・金・元・明・清の諸王朝は,北京を首都または副都としたので,特に重要視した。元代の1343年,ここに過街塔が築かれ,門の両壁に漢,梵,チベット,パスパ,ウイグル,西夏の6体の文字で陀羅尼(だらに)と建立の由来などが刻まれている。

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