村田周魚(読み)ムラタ シュウギョ

20世紀日本人名事典 「村田周魚」の解説

村田 周魚
ムラタ シュウギョ

大正・昭和期の川柳作家



生年
明治22(1889)年11月17日

没年
昭和42(1967)年4月11日

出生地
東京・下谷上車坂

本名
村田 泰助

別名
別号=暁雪,海月堂,鯛坊

学歴〔年〕
東京薬学学校〔明治42年〕卒,早稲田大学中退

主な受賞名〔年〕
川柳文化賞(第1回)〔昭和41年〕

経歴
明治44年警視庁衛生部勤務、薬業界との関係に貢献。俳人の父に従い運座に出席、句を作った。38年柳樽寺川柳会の井上剣花坊に師事、大正2年「大正川柳」同人、9年八十島勇魚らと柳誌「きやり」創刊。のち「きやり」は全国を代表する川柳誌となった。著書に「鯛の鱗」「全国著名売薬史」「周魚句集」「川柳雑話」など。昭和43年「きやり」吟社が周魚賞制定。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「村田周魚」の意味・わかりやすい解説

村田周魚 (むらたしゅうぎょ)
生没年:1889-1967(明治22-昭和42)

川柳作者。東京生れ。本名泰助。東京薬学校卒業後,警視庁衛生部を経て薬業新聞を経営。父が俳諧宗匠であったため6歳のころから発句を作る。17歳のときから雑俳の道に入り鯛坊と号する。1913年井上剣花坊の柳樽寺の同人となり,川柳一途となる。20年水島不老,八十島可喜津と3人で川柳きやり吟社を創立し《川柳きやり》を発刊。27年川柳をまじめにする意図で号も周魚と改める。剣花坊・阪井久良伎提唱の〈川柳は《柳樽》初編に戻れ〉のスローガンを忠実に守り,日常茶飯を旨とし,難しい句語を使わず俗の中の真を表現することにつとめた。〈勉強をしろと子に吹く秋の風〉などを残す。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村田周魚」の解説

村田周魚 むらた-しゅうぎょ

1889-1967 大正-昭和時代の川柳作家。
明治22年11月17日生まれ。警視庁衛生部につとめ,のち薬学誌を編集。大正2年井上剣花坊(けんかぼう)の柳樽寺(りゅうそんじ)川柳会同人となる。9年きやり吟社をおこし「川柳きやり」を創刊,戦時下でも社報の形で発行をつづけた。昭和42年4月11日死去。77歳。東京出身。東京薬学校(現東京薬大)卒。本名は泰助。著作に「川柳雑話」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「村田周魚」の解説

村田 周魚 (むらた しゅうぎょ)

生年月日:1889年11月17日
大正時代;昭和時代の川柳作家
1967年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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