井上剣花坊(読み)いのうえ けんかぼう

デジタル大辞泉の解説

いのうえ‐けんかぼう〔ゐのうへケンクワバウ〕【井上剣花坊】

[1870~1934]川柳作家。山口の生まれ。本名、幸一。川柳の革新に努めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

井上剣花坊 いのうえ-けんかぼう

1870-1934 明治-昭和時代前期の川柳作家。
明治3年6月3日生まれ。井上信子の夫。明治36年東京の日本新聞社にはいり,川柳欄を担当。38年川柳結社柳樽寺(りゅうそんじ)を結成,「川柳」を創刊して革新川柳を主張する。のち同誌を「大正川柳」「川柳人」と改題,自身は無産派川柳に接近した。昭和9年9月11日死去。65歳。山口県出身。本名は幸一。

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世界大百科事典 第2版の解説

いのうえけんかぼう【井上剣花坊】

1870‐1934(明治3‐昭和9)
川柳作者。山口県生れ。本名幸一。幼少のころ,廃藩置県の大変革で家運衰え,独学で小学校の教員となる。その余暇に神代大介の遊竜塾に学び塾頭を務める。のち東京へ遊学したが病を得て萩に戻り再び小学校教員を経て新聞記者となる。1902年《越後日報》より招かれて主筆となったが,翌年退社。三たび上京,新聞《日本》の記者となり,古島一雄主筆のすすめに従って《柳樽》の新しい形をめざした川柳を掲載した。そのかたわら,正岡子規などの俳句運動に刺激を受け新川柳運動を起こす。

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大辞林 第三版の解説

いのうえけんかぼう【井上剣花坊】

1870~1934) 川柳作家。山口県萩の生まれ。本名、幸一。川柳の革新に貢献。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

井上剣花坊
いのうえけんかぼう

[生]明治3(1870).6.3. 萩
[没]1934.9.11. 東京
川柳作家。本名,幸一。 1903年日本新聞社に入社,同紙に川柳欄を初めて設け,また雑誌『川柳』を創刊 (1905) するなど,川柳の近代化を推進した。晩年はプロレタリア文学運動に接近し,プロレタリア川柳を試みた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

井上剣花坊
いのうえけんかぼう
(1870―1934)

川柳(せんりゅう)作家。本名幸一。別号秋剣、柴野龍泉(しばのりゅうせん)。山口県萩(はぎ)に生まれる。1903年(明治36)新聞『日本』に入社、川柳欄を担当、時事川柳大流行の契機をつくったが、阪井久良岐(くらき)の批判を受けた。翌々年、柳樽寺(りゅうそんじ)川柳会を組織、機関誌『川柳』(のち『大正川柳』、さらに『川柳人』と改題)を発刊して、川柳革新を推進し文学としての川柳確立に貢献。昭和9年9月11日没。鎌倉建長寺に葬られる。[岩田秀行]
 笑ふにも泣くにも顔は一つなり
『山本宍道郎編『川柳全集7 井上剣花坊』(1980・構造社出版)』

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世界大百科事典内の井上剣花坊の言及

【川柳】より

…しかし狂句人口は増加し,江戸を中心に,北は山形,米沢へ,東は相模,松本,名古屋,飛驒,京,大坂に拠点ができ,全国的な支持を受けて広まったが,やがて知的遊戯におちた狂句をきらい,初代の古川柳への復古をとなえる明治の新川柳運動の標的にされることになる。雑俳(ざっぱい)【鈴木 勝忠】
[近代の川柳]
 1903年(明治36)井上剣花坊阪井久良伎(くらき)の,川柳は《柳多留》(初編)に戻れという提唱で近代川柳は始まる。2人はそれぞれ《日本》《電報》両新聞に拠って普及につとめた。…

※「井上剣花坊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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