杜環(読み)とかん(その他表記)Dù Huán

改訂新版 世界大百科事典 「杜環」の意味・わかりやすい解説

杜環 (とかん)
Dù Huán

中国,唐代中期の人。生没年不詳。751年(天宝10),高仙芝の率いる唐軍とイスラム軍とのタラス河畔の戦で,イスラム軍の捕虜となり,西方に送られて約10年過ごした。帰途は貿易船に便乗し,セイロンを経て広州に帰り着いた。その間の東カリフ領での見聞を,帰国後に《経行記》として著した。アッバース朝成立前後の西アジア中央アジアに関する貴重な資料であるが,一族杜佑の《通典》に十数条が引用されて今に伝わるだけである。
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関連語 愛宕

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「杜環」の意味・わかりやすい解説

杜環
とかん
Du Huan

中国,中唐の人。『経行記』の著者。宰相杜佑の族子。高仙芝西征従軍,天宝 10 (751) 年のタラス川の戦いに敗れ捕虜となって西方に送られ,中央アジア諸国,東カリフ帝国 (大食) の地方を見聞し,セイロン島を経て宝応1 (762) 年商船に乗り帰国した。その間の見聞記『経行記』は,佚文十数条が杜佑の『通典 (つてん) 』辺防門に引用されており,8世紀の中央アジアの事情を伝える貴重な史料とされる。

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旺文社世界史事典 三訂版 「杜環」の解説

杜 環
とかん

生没年不詳
8世紀半ばごろの唐の著述家
タラス河畔の戦いでイスラーム軍の捕虜となり,10年余りをアッバース朝の支配下に過ごし,海路広州に帰着。その見聞記『経行記 (けいこうき) 』は,当時のアッバース朝治下の西アジアの事情を伝える貴重な文献であったが,散逸してその一部だけが現存する。

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