杜佑(読み)トユウ(その他表記)Dù Yòu

デジタル大辞泉 「杜佑」の意味・読み・例文・類語

と‐ゆう〔‐イウ〕【杜佑】

[735~812]中国政治家学者。京兆・万年(陝西せんせい省)の人。徳宗憲宗に仕えて、重要官職を歴任した。著「通典つてん」など。

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精選版 日本国語大辞典 「杜佑」の意味・読み・例文・類語

と‐ゆう‥イウ【杜佑】

  1. 中国、唐代の政治家。字(あざな)は君卿。諡(おくりな)は安簡。長安の人。嶺南・淮南節度使を歴任。憲宗の時、司徒となり信任をうけた。学者としてもすぐれる。著に「通典(つてん)」など。(七三五‐八一二

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改訂新版 世界大百科事典 「杜佑」の意味・わかりやすい解説

杜佑 (とゆう)
Dù Yòu
生没年:735-812

中国,唐代の政治家,学者。京兆万年(陝西省西安市)の人。字は君卿。高官家柄に生まれたので,科挙試験によらず恩蔭によって官界に入った。地方官を歴任したのち,徳宗朝で楊炎宰相となり両税法を施行したころ,水陸転運使や戸部侍郎判度支となって国家財政の運営の責任をになった。まもなく宰相の盧杞(ろき)に憎まれ,蘇州刺史や嶺南節度使を経たが,ついに宰相となり,とくに憲宗に信任された。彼は政治家としても人臣を極めたが,後世ではむしろ司馬遷《史記》以来の名著とされる《通典(つてん)》の著者として知られる。彼が30年の歳月をかけて撰述した《通典》200巻は唐以前の中国の諸制度の沿革を通観した屈指の史書であり,随所に経世的な見解を盛り込んでいる。宋代の朱熹(しゆき)(朱子)が〈古を非とし今を是とする〉書と評した《理道要訣》10巻は,逸して伝わらないが,尚古主義の横溢した中国における発展史観の学者として高く評価されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「杜佑」の意味・わかりやすい解説

杜佑
とゆう
(735―812)

中国、唐代の政治家。字(あざな)は君卿(くんけい)。長安の人。貴族の家に生まれ、高官を歴任したのち、徳宗、順宗、憲宗三帝の宰相を務めた。政治とくに財政に明るく、富国安民の方策をたてることを自己の使命とした。その著書『通典(つてん)』は、今日でも制度史研究上不可欠の書となっている。その孫に晩唐の詩人杜牧(とぼく)がある。

[谷川道雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「杜佑」の意味・わかりやすい解説

杜佑
とゆう
Du You; Tu Yu

[生]開元23(735)
[没]元和7(812)
中国,唐中期の政治家,学者。字は君郷。曾祖父以来の官僚の家に生れ,諸官を歴任。両税法の賛美者で,この税法を始めた楊炎のもとでその遂行にあたり,施行直後起った河北三鎮などの藩鎮の反乱討伐の際,食糧輸送の任を果した。さらに嶺南,淮南2藩鎮の節度使などを経て宰相となり,憲宗の信任が厚かった。著書『通典 (つてん) 』 (200巻) 。

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世界大百科事典(旧版)内の杜佑の言及

【通典】より

…200巻。唐の杜佑撰。劉知幾の子の劉秩が開元末に作った《政典》35巻を増補訂正したもので,約30年の歳月を費やして801年(貞元17)に完成したという。…

※「杜佑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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