東チモール問題(読み)ひがしちもーるもんだい

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東チモール問題
ひがしちもーるもんだい

インドネシア群島東部にあるチモール島の東半分および北西岸の一部についての帰属や人権等に関する諸問題。この地域は16世紀以降ポルトガル領であったため、1945年8月、オランダ領に属する西半分がインドネシアとして独立した後もポルトガル領にとどまった。1974年4月のポルトガルの政変と民主化(「リスボンの春」)に伴って非植民地化政策が打ち出されると、人口60万の東チモールには、(1)即時全面独立を求める「東チモール独立革命戦線(FRETILIN(フレティリン))」、(2)インドネシアとの合併を主張する「チモール民主人民協会(APODETI(アポデティ))」、(3)ポルトガル治下の独立準備を目ざす「チモール民主連合(UDT)」など政党が乱立した。1975年8月UDTのクーデターを契機とする内戦に勝利したFRETILINは11月「東チモール民主共和国」の独立を宣言し、15か国から承認された。これと国境を接するインドネシアは、「赤いチモール」への警戒という冷戦的配慮と、自国内の地域分離主義への波及を恐れて、1975年12月軍事侵攻、APODETIを中心とする「東チモール臨時政府」を樹立、翌1976年7月には第27番目の州として東チモールの併合を宣言した。ポルトガル、オランダなど西ヨーロッパ諸国をはじめ国連は繰り返しインドネシア非難決議を行ったが、ASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)諸国はほぼ一貫してインドネシアを支持した。FRETILINへの軍事的抑圧を継続する一方、東チモールの経済開発にも努めたインドネシア政府の既成事実化路線は、1991年11月、主都ディリでの大衆デモに治安部隊が発砲し多数の死傷者を出した事件(サンタ・クルス事件)によって挫折(ざせつ)、インドネシア非難の国際世論が高まった。当時の国連事務総長ガリの仲介による1983年以来のインドネシア・ポルトガル協議、1994年のインドネシア外相アラタスとFRETILINとの対話も問題解決にはほど遠かった。1996年10月、東チモールのカルロス・ベロ司教とFRETILINのジョゼ・ラモス・ホルタにノーベル平和賞が授与されたのも、明らかに西ヨーロッパ諸国の対インドネシア批判を反映したものとされるが、1994年のフィリピンNGO(非政府組織)による東チモール問題国際会議の企画は、ASEAN域内にもインドネシア批判の機運が生じつつあることを示唆した。その後、1998年5月に32年間続いたスハルト政権が崩壊し、副大統領であったハビビBacharuddin Jusuf Habibie(1936― )が大統領に就任した。ハビビはスハルト離れを強調すべく、一連の改革・民主化に着手した。東チモールについては、拡大自治案を提案、それが受け入れられない場合には独立も容認するという姿勢を示し、1999年8月には国連東チモール支援団(UNAMET(ウナメット))をはじめとする国際社会が見守るなか、独立か否かを問う住民投票が実施され、78.5%の支持によって独立が決定した。しかし、独立支持派とインドネシア残留派の対立は深く、独立決定後に残留派がテロに訴えて主都ディリを制圧、独立支持派の住民が西チモールに脱出するなど、治安が極度に悪化した。国連は多国籍軍の展開を承認し、1999年10月国連東チモール暫定統治機構(UNTAET)が設置されてPKO活動を実施、事態の収拾にあたった。
 また、インドネシアの国民協議会は、1999年10月20日の本会議で、1976年の東チモール併合を無効とすることを決めた。これで東チモールは23年にわたるインドネシア統治から正式に分離したことになった。反独立派と独立派(チモール抵抗民族評議会=CNRT、議長シャナナ・グスマン、副議長ホルタ)の話合いも始まった。対立勢力による「住民和解会議」が、シンガポール(11月)に続いて、1999年12月には東京で開催された。2000年7月東チモールの暫定内閣の設置が承認され、10月に第1回の国家評議会が開催された。2001年8月には制憲議会選挙が行われ、FRETILINが第一党となり第二次暫定内閣が発足した。2002年3月に憲法が制定されたのに続いて4月には直接選挙によってグスマンが初代大統領に選ばれた。2002年5月20日、世界92か国代表が参加した式典が挙行され、東チモール民主共和国の成立が最終的に確認された。同年9月国連加盟。[黒柳米司]
『古沢希代子・松野明久著『東ティモール民族独立小史』(1993・日本評論社) ▽高橋奈緒子・益岡賢著『東ティモール――奪われた独立・自由への闘い』(1999・明石書店) ▽青山森人著『東チモール・抵抗するは勝利なり』(1999・社会評論社)』

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