グスマン(読み)ぐすまん(英語表記)Xanana Gusmao

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グスマン」の意味・わかりやすい解説

グスマン(Xanana Gusmao)
ぐすまん
Xanana Gusmao
(1946― )

東チモール民主共和国初代大統領ポルトガル領チモール(東チモール)で生まれる。父は教師。本名はJose Alexandre Gusmaoといい、シャナナは通称である。

 ポルトガル植民地政府の農林省勤務中の1974年、民族解放組織、東チモール独立革命戦線(FRETILIN=フレティリン)の前身「チモール社会民主協会(ASDT)」創設に加わり、情報部副部長を務める。インドネシアによる東チモール武力併合後の1978年、フレティリンの軍事組織「東チモール民族解放軍(FALINTIL)」司令官となり、1981年にはフレティリン議長にも選ばれた。しかし、1987年、「マウベレ民族抵抗評議会(CNRM)」を結成、フレティリン左派との離反を図った。

 1992年11月、インドネシア治安部隊に捕らえられ、翌1993年4月、終身刑(後20年に減刑)に処せられた。獄中にあっても抵抗運動を鼓舞し、東チモールの、インドネシアからの独立の正当性を国際社会に訴え続けた。その後、1998年に誕生した「チモール抵抗民族評議会(CNRT。2001年解散)」の議長に選出された。国際メディアはグスマンを「東チモールのマンデラ」とよぶ。1998年5月、インドネシア大統領のスハルト失脚後、高まる国際世論に助けられ、1999年9月7日、グスマンは自由の身となった。

 1999年10月に着任した「国連東チモール暫定統治機構(UNTAET)」下で独立準備が進行するなか、2002年4月には、大統領選挙で投票総数の83%を獲得して圧勝し、5月20日独立式典の日に「東チモール民主共和国」の初代大統領に就任した。しかしこの大統領選挙時に国政のかじ取りをめぐりフレティリンとの確執が生じた。圧倒的な国民的支持を得たものの、大統領は象徴的な存在であり憲法上の実権に乏しいため、フレティリンに属しかつ政府の実権をもつ首相アルカティリMari Bin Amude Alkatiri(1949― )(イスラム教徒)との不和が懸念された。その後2006年4月~5月に待遇改善を求める兵士のデモに端を発し、のち大規模な騒乱に発展した際の責任をとる形でアルカティリは同年6月辞任、7月に外相のホルタを首相に指名した。2007年4月、新党「東チモール再建国民会議(CNRT)」党首となる。同年5月任期満了により大統領を退任したのちの6月末に行われた国民議会選挙で、CNRTはフレティリンに次ぐ第2党に躍進、他3党と連立を結成し、8月グスマンは首相に就任した。

[黒柳米司]


グスマン(Martín Luis Guzmán)
ぐすまん
Martín Luis Guzmán
(1887―1976)

メキシコ小説家。メキシコ大学で法律を学ぶが革命勃発(ぼっぱつ)とともに革命軍に加わり、パンチョ・ビージャの秘書を務める。革命後の指導者争いでビージャ敗北後は新聞などの特派員として渡欧。帰国後『エル・ムンド』紙を創刊。議員にもなるが政権交代でふたたび渡欧し、スペインの諸紙に寄稿。帰国後『ティエンポ』誌を創刊。作品には激動期のメキシコや指導者たちの権力闘争を描いた『鷲(わし)と蛇』(1928)や『領袖(りょうしゅう)の影』(1929)といったメキシコ革命小説の代表作、『パンチョ・ビージャの思い出』(1938~51)、メキシコ独立戦争に参加したスペイン人闘士『ナバラの英雄、ミーナ・エル・モーソ』(1932)などの評伝がある。

[安藤哲行]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「グスマン」の意味・わかりやすい解説

グスマン
Nuño Beltrán de Guzmán
生没年:?-1550?

スペイン人コンキスタドール。メキシコ湾岸パヌコ地方の統治官(1526-28),メキシコ市の第1次アウディエンシア長官(1528-29)を歴任。コルテス派と対立,これを弾圧して反感をかい,スマラガからも告発されて,西部へ征服遠征に出る。2年にして西部全域をほぼ制圧,王領ヌエバ・ガリシアを創設して初代統治官に就任し,グアダラハラはじめ多くの都市を建設した。敵が多く,また原住民を虐待したため,1538年解任され,本国送還のうえ投獄された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グスマン」の意味・わかりやすい解説

グスマン
Gusmão ,José Alexandre(Xanana)

[生]1946.6.20. 東ティモール,マナトゥト
東ティモールの初代大統領。イエズス会系の神学校で学んだのち,数々の職業を経験する。 1975年東ティモール独立革命戦線 (FRETILIN) に加わり,ポルトガルの植民地支配終了後東ティモールを武力併合したインドネシアに対し抵抗運動を繰り広げる。 1981年 FRETILINの軍事部門である東ティモール民族解放軍 (FALINTIL) 司令官に,1986年には独立運動の統合組織であるマウベレ民族評議会 CNRMを組織し議長に就任する。 1992年インドネシア軍に捕えられ投獄。 1998年獄中で CNRM改め,東ティモール民族抵抗評議会 (CNRT) の議長に就任。 1999年東ティモールで独立の是非を問う住民投票が行なわれたのち釈放される。国際連合暫定統治下の 2002年4月大統領選挙に当選し,東ティモールが正式に独立した5月 20日に就任した。 1998年サハロフ人権賞受賞。

グスマン
Guzmán, Martín Luis

[生]1887.10.6. チワワ
[没]1976.12.22. メキシコシティー
メキシコの小説家。 1910年革命に材を求めた『鷲と蛇』 El águila y la serpiente (1928) ,『首領の影』 La sombra del Caudillo (29) ,『パンチョ・ビーヤの回想』 Memorias de Pancho Villa (40) などで知られている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「グスマン」の解説

グスマン Guzman, Francisco Tello de

?-1603 スペインの行政官。第6代フィリピン総督。
土佐(高知県)に漂着したスペイン船サン-フェリペ号の積み荷没収をきっかけに二十六聖人殉教事件がおきると,慶長2年(1597)使節ナバレテを派遣して豊臣秀吉に抗議。のち平和通商外交を展開した徳川家康に,日本人の海賊行為禁止をもとめた。1603年4月死去。セビリア出身。

グスマン Guzman, Luis de

1543?-1605 スペインの宣教師。
1584年ベルモンテ大学長のとき,天正遣欧使節に会見して東洋伝道に関心をいだく。1595年トレドのイエズス会管区長。インド,中国,日本への伝道を「東方伝道史」にまとめ,1601年初の東洋伝道史として公刊した。1605年1月10日死去。62歳?オソルノ出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android