東百官(読み)アズマヒャッカン

デジタル大辞泉 「東百官」の意味・読み・例文・類語

あずま‐ひゃっかん〔あづまヒヤククワン〕【東百官】

戦国時代以後、関東武士が京都朝廷官名をまねて用いた通称多門たもん左内さない伊織いおり左膳さぜん右膳うぜん数馬かずま頼母たのもなど。

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精選版 日本国語大辞典 「東百官」の意味・読み・例文・類語

あずま‐ひゃっかんあづまヒャククヮン【東百官】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 京都の官名にならって、天正慶長一五七三‐一六一五)以来、関東武士の用いた通称。左内、右内、兵馬、大弐、小弐、典膳、頼母の類。
    1. [初出の実例]「今世に云東百官の号は将門が作りしにはあらず」(出典:随筆・貞丈雑記(1784頃)二)
  3. 江戸時代に用いられた子供用手習い本の一つ。百種人名を集めたもの。
    1. [初出の実例]「今あづま百くゎんとててならひ子のならふはこれ也」(出典:黄表紙・時代世話二挺皷(1788))

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改訂新版 世界大百科事典 「東百官」の意味・わかりやすい解説

東百官 (あずまひゃっかん)

令制の官名に擬して用いた名の総称中世近世の武家社会では,官職にちなんだ名を通称とすることが行われた。むろんこの時代は,すでに令制の官職制度も乱れ,有名無実にひとしいものが多かったが,それでも鎌倉・室町時代には官職名の自称は許されず,一定の手続きが必要とされた。武士の任官幕府を通して朝廷に申請され,また原則としては陪臣,郎従の任官も許されなかった。しかし室町末期になると,地方の戦国大名などが,領国の被官らに対して私的に非公式なものとして名を与えることが流行した。その場合に〈瀬右衛門尉〉とか〈源次兵衛尉〉とかいったようなもの,あるいは〈阿波〉とか〈右近〉とかいった四等官名を用いないものを官途同様に認めてやった。こうしたことから〈伊織〉〈左膳〉〈頼母〉〈数馬〉などのように,官名に類似していて実は根拠のない名が作られた。これらを令制の官名や百官名と区別して,東百官と呼んだのである。
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