日本大百科全書(ニッポニカ) 「東脊振」の意味・わかりやすい解説
東脊振
ひがしせふり
佐賀県北東部、神埼(かんざき)郡にあった旧村名(東脊振村(そん))。現在は吉野ヶ里町(よしのがりちょう)の北部と中部を占める地域。旧東脊振村は2006年(平成18)三田川(みたがわ)町と合併して、吉野ヶ里町となった。北部は脊振山(1055メートル)南東の山間部で、南部に平坦(へいたん)地が開け、筑後(ちくご)川に注ぐ田手(たで)川水系が南流する。北端福岡県境の小川内(おがわち)地区は、分水界北斜面の那珂(なか)川水系にあり、五ヶ山ダム建設問題が起きている。山間山麓(さんろく)部ではスギ、ミカン、タケノコ、茶、平坦部では米のほかイチゴ、トマトなどを産し、肥育牛の飼育もみる。佐賀東部中核工業団地、東脊振東部工業団地など開発事業も進み、長崎自動車道、国道385号が通じる。2006年、国道385号のバイパスとして東脊振トンネル(有料道路)が開通した。千石(せんごく)山サザンカ自生北限地帯は国指定天然記念物。二塚山遺跡(ふたつかやまいせき)出土品は国指定重要文化財。霊仙寺跡(りょうせんじあと)に栄西にゆかりの茶の発祥地記念碑がある。江戸初期、佐賀藩重臣成富兵庫茂安(なりとみひょうごしげやす)が構築したといわれる蛤水道(はまぐりすいどう)にまつわる伝承も伝えられる。
[川崎 茂]
『『東脊振村史』(1982・東脊振村)』