二塚山遺跡(読み)ふたつかやまいせき

日本歴史地名大系 「二塚山遺跡」の解説

二塚山遺跡
ふたつかやまいせき

[現在地名]東脊振村大字大曲

村の東南、三養基みやき郡上峰村や三田川町に近接し、背振せふり山地の南山麓に延びる舌状低丘陵上にある弥生時代から古墳時代にかけての遺跡。

三養基郡神埼郡との郡境付近一帯に古代「三根国」が存在していたとされ、「日本書紀」にも嶺県主とみえる。また「魏志倭人伝」の「弥奴国」がこの三根国であろうともいわれる。

昭和三四年(一九五九)開墾中に箱式石棺が出土、石棺中から鏡およびガラス小玉数個が発見された。

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改訂新版 世界大百科事典 「二塚山遺跡」の意味・わかりやすい解説

二塚山遺跡 (ふたつかやまいせき)

佐賀県三養基(みやき)郡上峰村堤および神埼郡吉野ヶ里町の旧東脊振村東山にわたって存在する遺跡で,弥生時代前期~後期にかけての墓域全域をほぼ確認できた数少ない埋葬跡である。脊振山地南麓から派生して佐賀平野の中央部へ長く突出する丘陵,通称二塚山のほぼ中央の標高40~50mの一支脈上にあり,約3000m2を占める。1975年2月~76年7月の発掘調査で,甕棺墓159基,土壙墓89基,石棺墓6基,埋葬祭祀跡8ヵ所の遺構が,丘陵の背に沿って長さ140m,幅20mの範囲に時代の変遷のようすを見せながら配置されている。遺物副葬品として,漢式鏡4面,小型仿製鏡2面のほか,鉄矛,鉄剣,素環頭鉄刀,鉄斧,ガラス製玉,貝釧(かいくしろ),土製玉が出土した。漢式鏡は連弧文潔清白鏡,長宜子孫系連弧文鏡,連弧文昭明鏡,波文縁獣帯鏡の前漢~後漢式鏡である。小型仿製鏡の一つは,朝鮮慶尚北道永川郡漁隠洞遺跡のものと同笵である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「二塚山遺跡」の意味・わかりやすい解説

二塚山遺跡
ふたつかやまいせき

佐賀県神埼(かんざき)郡吉野ヶ里(よしのがり)町大曲(おおまがり)字松葉と三養基(みやき)郡上峰(かみみね)町堤(つつみ)字五本谷の通称二塚山丘陵上に営まれた弥生(やよい)時代の墳墓群。1975年(昭和50)佐賀県教育委員会により工場団地造成の事前調査が行われ、弥生時代前期から後期にかけての甕棺墓(かめかんぼ)、土壙(どこう)墓と箱式石棺墓など252基と墓地祭祀(さいし)遺構6か所が発見された。墳墓からは漢式鏡、仿製(ぼうせい)鏡計6面をはじめ、鉄製の刀・剣・矛の武器、貝製腕輪、ガラス製管玉(くだたま)、小玉(こだま)などが多数の人骨とともに出土した。人骨は、吉野ヶ里町三津永田(みつながた)遺跡の人骨とともに北部九州・山口型弥生人の典型とされている。また甕棺を含め、副葬品が国や県の重要文化財になっている。墳墓の全域が発掘調査されており、埋葬数・営墓期間から約20人強の集団で約250年間にわたって継続的に営まれたと推定され、当時の社会構成を知る重要な手掛りである。

[高島忠平]

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