佐賀県東部の市。2006年3月神埼町,千代田(ちよだ)町と脊振(せふり)村が合体して成立した。人口3万2899(2010)。
神埼市中部の旧町。旧神埼郡所属。人口1万9762(2005)。西は佐賀市に接する。北部は脊振山地南端の山地で,そこから発する城原(じようばる)川が中央を南流する。南部は筑紫平野の一角を占め,南端ではクリークが発達している。古くから開けた地で,吉野ヶ里遺跡があり,《魏志倭人伝》に記載される〈楼観〉〈城柵〉などに対応する資料が発見された。条里制に関連すると思われる駅ヶ里(やくがり),枝ヶ里,平ヶ里などの地名も数多く存在している。平安時代から鎌倉時代には神崎荘に属し,江戸時代は長崎街道沿いの宿場町として発展した。農業が基幹産業で米作を主体としていたが,近年はビニルハウスのイチゴやナスなど園芸作物の栽培も盛ん。特産品に300年の伝統を誇る神埼そうめんがある。日本最初の種痘に成功した蘭医伊東玄朴の生家が残る。城原川上流の渓谷は脊振山県立自然公園に指定されている。JR長崎本線,国道34号線が通る。
神埼市北部の旧村。旧神埼郡所属。人口1907(2005)。北は脊振山(1055m)を境に福岡県に接する。村全体が脊振山地に属し,中央を城原川が南東流する。標高150~500mの間に集落が点在し,農林業を主産業とする。近年,米作から高冷地野菜への転作が拡大し,コンニャクや柿の栽培も盛ん。また杉の美林が多く,造林の村としても知られる。脊振山の山頂に脊振神社上宮,田手川上流の服巻(はらまき)に下宮があり,古代から中世には脊振千坊と称され繁栄した。脊振山地一帯は県立自然公園に指定されている。
神埼市南部の旧町。旧神埼郡所属。1965年町制。人口1万1868(2005)。西は佐賀市,南東は筑後川をはさんで福岡県に接する。筑紫平野の中央にあってクリークが縦横に走る。城原川が中央部を南流し,南端で筑後川に合流する。主産業は農業で,米,麦のほか野菜栽培も盛ん。漁業は,有明海沿岸のノリ養殖が主体。高志神社では毎年10月の例祭に鷺流狂言(高志狂言)が行われる。下村湖人の生家がある。
執筆者:松橋 公治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
佐賀県東部、神埼郡にあった旧町名(神埼町(まち))。現在は神埼市神埼町地区で、市の中部を占める。旧神埼町は、1893年(明治26)町制施行。1955年(昭和30)仁比山(にいやま)、西郷(さいごう)の2村と合併。2006年(平成18)千代田町、脊振(せふり)村と合併して市制施行、神埼市となった。旧町域の北部は脊振山地、中部、南部に佐賀平野の水田地帯が広がり、筑後(ちくご)川に注ぐ城原(じょうばる)川が南に貫流する。神埼の名は古代の郡、郷名による。石井ヶ里(いしいがり)など古代条里制遺称地名のなかに神埼ヶ里があり、また中世神崎荘(しょう)で著名。JR長崎本線が通じ、国道34号と385号が走る。神埼駅近くの中心市街地は、近世長崎街道の神埼宿の地。駅ヶ里(やくがり)には古代神埼駅の駅家(うまや)があったとされる。近世以来の「神埼素麺(そうめん)」は代表的な特産物。ヤクルトなどの企業進出もみられ、またミカン、野菜園芸、畜産など農業の多角化も進む。櫛田神社(くしだ)神幸祭の太神楽(だいかぐら)と仁比山神社の御田舞(おんだまい)は県指定重要無形民俗文化財。蘭医(らんい)伊東玄朴(いとうげんぼく)の旧宅と伊勢塚古墳(いせづかこふん)は県指定史跡。明治中期につくられた、実業家伊丹弥太郎の別荘と庭園である「九年庵」は国指定名勝。日ノ隈(ひのくま)山は『肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)』にみる烽(とぶひ)の場所と推定される。
[川崎 茂]
『『神埼町史』(1972・神埼町)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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