吉野ヶ里(読み)よしのがり

改訂新版 世界大百科事典 「吉野ヶ里」の意味・わかりやすい解説

吉野ヶ里[町] (よしのがり)

佐賀県東部,神埼郡の町。2006年3月三田川(みたがわ)町と東脊振(ひがしせふり)村が合体して成立した。人口1万6405(2010)。

吉野ヶ里町中北部の旧村。神埼郡所属。人口6240(2005)。北は脊振山地を境に福岡県に接する。山麓から舌状にのびた丘陵地には弥生時代遺跡や古墳,奈良時代の廃寺跡などがある。米作を主体とするが,野菜,ミカンの栽培,畜産なども行われ,イチゴの産も多い。南東部には工業団地が造成されている。長崎自動車道の東脊振インターチェンジがある。村域北部の千石山(528m)南麓の坂本にあった霊仙(りようせん)寺付近は,1191年(建久2)宋から帰った栄西が日本最初の茶樹栽培をした地とされている。古くは脊振山山頂を上宮,霊仙寺中宮,同じく坂本の修学院を下宮とする,〈脊振千坊〉と称される一大霊場の地であった。千石山はサザンカ自生北限地帯(天)でもある。脊振山地南麓の丘陵地にある三津永田遺跡は弥生後期の甕棺墓群で,前漢の内行花文明光鏡など貴重な遺物が出土した。

吉野ヶ里町南部の旧町。神埼郡所属。1965年町制。人口9860(2005)。町域は南北に細長く,北部は脊振山麓南端にあたる丘陵地,南部はクリーク地帯である。弥生時代の住居跡や貝塚,古墳や条里制の遺構などがあり,ことに吉野ヶ里遺跡では,日本一の規模をもつ環濠集落をはじめ,墳丘墓,物見やぐらなどが発見され,歴史公園として保存されている。工業を主産業とし,被服,電気器具,建設材料などの工場があり,工業団地の造成も進む。中南部の農業地帯では米作のほか酪農,イチゴ栽培なども行われている。田手(たで)にある真言律宗東妙寺の本尊木造釈迦如来座像および木造聖観音立像は重要文化財。後醍醐天皇の皇子懐良親王直筆の《紙本墨書梵網経》(重要文化財)も蔵する。かつての飛行場跡に陸上自衛隊目達原駐屯地があり,北部をJR長崎本線と国道34号線が通る。
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事典・日本の観光資源 「吉野ヶ里」の解説

吉野ヶ里

(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町)
日本100名城指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

デジタル大辞泉プラス 「吉野ヶ里」の解説

吉野ヶ里

佐賀県神埼郡吉野ヶ里町にある道の駅。国道385号に沿う。

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