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松前城 まつまえじょう

日本の城がわかる事典の解説

まつまえじょう【松前城】

北海道松前松前町に残る平山城(ひらやまじろ)。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。現在の東北地方北部から北海道南部(蝦夷地)を支配していた安東氏から独立して統治者となった蠣崎(かきざき)氏(のちの松前氏)は当初、同町内神明にあった大館に居館を構えていた。1600年(慶長5)に松前慶広(よしひろ)が新たに福山(現在、松前城がある場所)に福山館(ふくやまだて)と呼ばれる新しい陣屋を設け、蝦夷地支配の拠点とした。これがのちの松前城である。その後江戸時代末まで松前藩主松前氏の居城、藩の政庁となった。現在残されている城郭は1849年(嘉永2)に、幕府から北辺警固を命じられた当時の藩主松前崇広(たかひろ)が、外国の艦船の海上からの攻撃を想定して福山館を大改修して築いたもので、日本における最後期の旧式城郭の一つになっている。戊辰戦争末の箱館戦争の際には、榎本武揚(えのもとたけあき)率いる旧幕府軍の攻撃を受け落城した。その時焼失した天守は1949年(昭和24)に再建され、町のシンボル、桜の名所になっている。築城時からある本丸御門は国の重要文化財に指定されている。JR江差線木古内(きこない)駅から松前行きバス約1時間29分で松前城下車、徒歩約10分。◇福山城(ふくやまじょう)とも呼ばれる。

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デジタル大辞泉の解説

まつまえ‐じょう〔まつまへジヤウ〕【松前城】

北海道南西部、松前郡松前町にある平城(ひらじろ)。日本最北の城で、三層の白い天守閣があり高さ30メートル。松前氏の居城だった。福山城。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松前城
まつまえじょう

江戸期の城。北海道松前郡松前町松城にあり、福山(ふくやま)城ともいう。1600年(慶長5)松前慶広(よしひろ)が築いた福山館に始まる。19世紀に入り、幕府は北辺の警備を厳重にする必要から、1849年(嘉永2)に松前崇広(たかひろ)を城主大名に格上げし築城を許可、工事は翌年から始まり、縄張りは高崎藩の兵学者市川一学(いちがく)が担当した。海防がおもなねらいであったため、海岸に近い三の丸には7座の砲台が設置され、わが国における旧式城郭の最後の築城であると同時に、近代的築城法の萌芽(ほうが)もみられる。明治維新の際に榎本武揚(えのもとたけあき)らに攻められ、城中は廃墟(はいきょ)と化した。三層の天守閣は1949年(昭和24)に焼失し、1961年に復興されたものである。ほかに本丸御門(国指定重要文化財)と本丸表御殿の玄関部分が残存し、一帯は公園として整備されている。[小和田哲男]

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世界大百科事典内の松前城の言及

【松前[町]】より

…伊予灘に注ぐ重信川の河口南岸に位置し,松山平野の中にあって肥沃な水田地帯である。中心集落の松前には,1595年(文禄4)文禄の役の功により伊予に6万石を与えられた加藤嘉明の松前城があり,1603年(慶長8)松山に城が移されるまで城下町として栄えた。江戸時代は松前浜を中心とする漁村で,陸揚げされた鮮魚は,婦人たちが頭上の桶に入れて松山城下や近郷に行商に出,彼女らは〈松前のおたた〉とよばれた。…

※「松前城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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