江戸期の城。北海道松前郡松前町松城にあり、福山(ふくやま)城ともいう。1600年(慶長5)松前慶広(よしひろ)が築いた福山館に始まる。19世紀に入り、幕府は北辺の警備を厳重にする必要から、1849年(嘉永2)に松前崇広(たかひろ)を城主大名に格上げし築城を許可、工事は翌年から始まり、縄張りは高崎藩の兵学者市川一学(いちがく)が担当した。海防がおもなねらいであったため、海岸に近い三の丸には7座の砲台が設置され、わが国における旧式城郭の最後の築城であると同時に、近代的築城法の萌芽(ほうが)もみられる。明治維新の際に榎本武揚(えのもとたけあき)らに攻められ、城中は廃墟(はいきょ)と化した。三層の天守閣は1949年(昭和24)に焼失し、1961年に復興されたものである。ほかに本丸御門(国指定重要文化財)と本丸表御殿の玄関部分が残存し、一帯は公園として整備されている。
[小和田哲男]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…伊予灘に注ぐ重信川の河口南岸に位置し,松山平野の中にあって肥沃な水田地帯である。中心集落の松前には,1595年(文禄4)文禄の役の功により伊予に6万石を与えられた加藤嘉明の松前城があり,1603年(慶長8)松山に城が移されるまで城下町として栄えた。江戸時代は松前浜を中心とする漁村で,陸揚げされた鮮魚は,婦人たちが頭上の桶に入れて松山城下や近郷に行商に出,彼女らは〈松前のおたた〉とよばれた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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