江戸期の城。広島県福山市丸之内にある。久松城ともいう。1619年(元和5)西備後(びんご)10万石の大名として入封した水野勝成(かつなり)が翌20年に着工し、2年余で天守閣などの主要部は完成したが、全部完成まで13年を費やしたという。城は平山城(ひらやまじろ)で、山陽道にも近く、西側を流れる芦田(あしだ)川は、水運の便と同時に自然要害をなす。譜代(ふだい)大名として、最初に中国地方に配置され、幕府からの援助も大きく、たとえば、そのころ解体された徳川家康造営の伏見(ふしみ)城の建物が移築されている。水野氏は5代で断絶し、1710年(宝永7)からは阿部正邦(あべまさくに)にかわり、以後阿部氏が明治維新まで相継いだ。戦災で焼失した天守閣は1966年(昭和41)復原された。
[小和田哲男]
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…現在も主産業は漁業で,イカの一本釣りを中心にヤス,ホッケなどの漁獲も多い。福山(松前)城跡(史)には本丸御門(重要文化財)が残り,また桜の名所として知られる。付近に法幢(ほうどう)寺,北海道最古の建築という山門のある法源寺,旧城門を山門とする阿吽(あうん)寺,背後の台地上に安東氏の館のあった大館(おおだて)跡がある。…
…21年(文政4)蝦夷地は再び松前氏に返還されたが,復領後は商場知行制を廃止し,家臣への俸禄形態も石高で表示し金で支給するという擬制的蔵米知行制をとった。31年(天保2)1万石格に復し,49年(嘉永2)幕命により福山城を築城し,54年(安政1)落成した。これにより松前氏は初めて城持大名となった。…
…山陽新幹線,山陽自動車道を基軸に国道182号線などを整備して交通・流通の拠点性を高め,商業機能を広島市と岡山市の中間地域に拡大させている。【藤原 健蔵】
[福山城下]
水野氏,松平氏,阿部氏など福山藩万石の城下町。芸備両国を領した福島正則改易のあとをうけて1619年(元和5)備後に入封した譜代の水野勝成(かつなり)は,3ヵ年をかけて深津郡野上村の常興寺山に福山城(久松城,葦陽城ともいう)を築き,芦田川河口の一面干潟の葭原に城下町を建設した。…
※「福山城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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