国指定史跡ガイド 「松前氏城跡」の解説
まつまえししろあと【松前氏城跡】
北海道松前郡松前町松城および檜山郡厚沢部(あっさぶ)町城丘にある松前氏の居城の跡。指定名称は「松前氏城跡 福山城跡(ふくやまじょうあと) 館城跡(たてじょうあと)」。松前町の福山城跡は、17世紀初頭以来、松前氏代々の居城であったが、最初の福山城は、松前慶広が1600年(慶長5)に築城に着手し、1606年(慶長11)に完成した。正式には福山館と呼ばれたが、1850年(嘉永3)に松前崇広が幕命によって旧城を壊し、新しい福山城を1854年(安政1)に完成させた。これが現在残っている福山城であり、その遺構が1935年(昭和10)に国指定史跡となった。この福山城は、日本式城郭としては北海道唯一で日本最北端の城であり、また、日本で最後の城である。天守閣は1941年(昭和16)に国宝に指定されたが、1949年(昭和24)に出火した松前町役場から飛び火して焼失した。現在見られる天守閣は、1961年(昭和36)に再建されたものである。また、館城跡は、厚沢部川・天の川流域を開拓する計画にともなって厚沢部川流域の館に造った城である。明治に改元されてからできた城で、1868年(明治1)11月3日、松前藩主・徳広が館城に入城したため、松前藩は館藩と呼ばれるようになる。しかし、11月10日、旧幕府軍・松岡四郎次郎隊が五稜郭から出陣して館城を攻略。15日に城は陥落した。城跡は、厚沢部川と支流糠野(ぬかの)川が囲む標高50mの台地上にあり、土塁と堀、井戸跡などが残り、木材や陶磁器が出土している。城の南にある丸山は、館城攻防をめぐる戦場となり、250ヵ所の散兵壕の跡が残っている。2006年(平成18)に福山城に追加指定され、2つの城跡を松前氏城跡とすることになった。福山城跡へは、JR江差線ほか木古内駅から函館バス「松城」下車、徒歩約5分。館城跡へは、JR江差線江差駅から車で約50分。