松尾臣善(読み)マツオシゲヨシ

デジタル大辞泉 「松尾臣善」の意味・読み・例文・類語

まつお‐しげよし〔まつを‐〕【松尾臣善】

[1843~1916]官僚播磨はりまの人。大蔵省で出納局長、主計局長、理財局長などを歴任日本銀行総裁に就任すると、日露戦争の戦費調達などを目的とした外債公募に尽力。人事制度の改革などにも取り組んだ。

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20世紀日本人名事典 「松尾臣善」の解説

松尾 臣善
マツオ シゲヨシ

明治・大正期の財政家,男爵 日本銀行総裁;貴院議員(勅選)。



生年
天保14年2月6日(1843年)

没年
大正5(1916)年4月7日

出生地
播磨国姫路(兵庫県)

経歴
姫路の郷士の長男に生まれる。数学に精通し、宇和島藩に任官して士籍に列す。文久3年藩の興業を管理して功があった。明治2年大阪に国庫事務が開始されると選ばれてその事務取扱を命ぜられ、大阪府権大属、外国局会計課長となる。のち大蔵省に入り、19年出納局長、ついで日本銀行監理官、主計局長、貯金局長、理財局長を歴任。36年日本銀行総裁に就任し、日露戦争の戦費捻出のため公債募集に尽力、また明治末正貨危機の対策など金本位制の維持に取り組んだ。39年男爵となり、44年から勅選貴院議員も務めた。著書に「還暦記念録」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「松尾臣善」の解説

松尾臣善

没年:大正5.4.7(1916)
生年:天保14.2.6(1843.3.6)
明治時代の官僚,実業家。姫路の郷士松尾方信の長男に生まれ,のちに四国宇和島藩の士籍に列す。明治2(1869)年に大阪府外国局会計課長となり,大蔵省に転じて19年出納局長,以後日本銀行管理官,主計局長,貯金局長,理財局長などを歴任した。日本銀行総裁山本達雄の事実上の解任により明治36年同行総裁となる。在職中は,大蔵省との関係を改善し,副総裁高橋是清と協力して,日露戦争における外債募集などの戦費調達,戦後の景気過熱とその反動の調整,明治末正貨危機の対策など金本位制度の維持に取り組んだ。また職制の整備や大学新卒者の大量採用などにより人事制度の近代化を図った。44年に辞任し貴族院議員に勅選される。日本銀行総裁としては「目立たぬ大総裁」という評価もあるが,当時の世評は,政府からの独立性を喪失させ日本銀行を「大蔵省の分身」に変質させたという厳しいものであった。39年男爵。<参考文献>吉野俊彦『歴代日本銀行総裁論』,『日本銀行史』3巻

(佐藤政則)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松尾臣善」の解説

松尾臣善 まつお-しげよし

1843-1916 幕末-明治時代の武士,官僚。
天保(てんぽう)14年2月6日生まれ。数学にすぐれ,伊予(いよ)宇和島藩につかえた。維新後は財政官僚として大蔵省出納局長,日本銀行理財局長などを歴任し,明治36年日銀総裁となる。貴族院議員。大正5年4月8日死去。74歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身本姓中根

松尾臣善 まつお-しんぜん

まつお-しげよし

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367日誕生日大事典 「松尾臣善」の解説

松尾 臣善 (まつお しげよし)

生年月日:1843年2月6日
明治時代;大正時代の財政家;官僚。日本銀行総裁;男爵
1916年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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