松木淡々(読み)まつき たんたん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松木淡々」の解説

松木淡々 まつき-たんたん

1674-1761 江戸時代中期の俳人
延宝2年生まれ。生家大坂西横堀の阿波屋。江戸にでて立羽不角(たてば-ふかく),榎本其角(えのもと-きかく)にまなぶ。のち京都,大坂で半時庵流という俳風で人気をあつめた。伝授書を乱発して豪華な生活をおくったという。宝暦11年11月2日死去。88歳。通称は伝七。別号に渭北,因角,曲淵,三楊,半時庵など。著作に「淡々発句集」「淡々文集」など。
格言など】色酒財を人たる者慎むべし。何事も此三つより発(いず)(「奇説つれづれ草紙」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松木淡々」の意味・わかりやすい解説

松木淡々
まつきたんたん

[生]延宝2(1674).大坂
[没]宝暦11(1761).11.2. 大坂
江戸時代中期の俳人。別号,呂国,渭北,半時庵など。芭蕉其角,不角に学び,一時,江戸,京都,堺にも住んだ。人物作風とも通俗的で勢力を張った。編著『安達太郎根 (あだたらね) 』 (1703) ,『淡々文集』 (42) など多数。

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世界大百科事典(旧版)内の松木淡々の言及

【淡々】より

…江戸中期の俳人。本姓は曲淵。ふだんは松木姓を名のる。大坂の人。初号は因角。1700年(元禄13)冬江戸に移り,渭北と改号,不角と其角に従った。彼自身は,江戸で芭蕉にまみえ,呂国の号を得たと述べるが,信じるべきでない。04年(宝永1)に芭蕉のあとを慕って奥州に行脚し,《安達太郎根(あだたらね)》を編んだ。07年,其角没後淡々と改号,翌年秋に京に移住した。当初,京での俳諧活動はほとんどなく,江戸に出た機会に旧友と俳交を楽しむ程度であったが,15年(正徳5)《十友館》《六芸》を編んだころから京俳壇を地盤として熱心に活動を開始,16年(享保1)に鷲峰山の中腹に半時庵を結び,翌年《にはくなふり》を世に問うた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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