朝日日本歴史人物事典 「松本幸四郎(4代)」の解説
松本幸四郎(4代)
生年:元文2(1737)
江戸中期の歌舞伎役者。俳名は錦江など。屋号は2代目以降高麗屋。京都生まれ。8歳のとき江戸に下り,初代瀬川菊之丞に入門して瀬川金吾を名乗り,初め色子として出発した。若衆形を経て立役となり,宝暦6(1756)年,4代目市川団十郎に入門して市川武十郎と改名,和事を得意とした。のち市川染五郎,高麗蔵を経て,安永1(1772)年,36歳のとき師の前名を継いで4代目松本幸四郎となった。安永5年の評判記で上上吉,寛政5(1793)年には極上上吉にまでなって名優の名をほしいままにしたが,若いときからの苦労のゆえか性格には問題があったらしく,5代目市川団十郎や初代尾上菊五郎と紛争を起こした際なども,非は彼に多いとされた。 容姿に優れ,和事,実事を本領とし,舞踊ができ,晩年には実悪もよくした。台詞,特に警句に長じ,舞台における江戸っ子のべらんめえ調は彼に始まるといわれる。団十郎との争いののち,人気を落とした彼を作者の初代桜田治助が助け,緊密な提携をしたことは有名である。晩年には芸名を実子の3代目高麗蔵に譲り,男女川京十郎と名乗った。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』,守随憲治『歌舞伎序説』
(井草利夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報