松本幸四郎(4代)(読み)まつもと・こうしろう

朝日日本歴史人物事典 「松本幸四郎(4代)」の解説

松本幸四郎(4代)

没年:享和2.6.27(1802.7.26)
生年:元文2(1737)
江戸中期の歌舞伎役者俳名は錦江など。屋号は2代目以降高麗屋。京都生まれ。8歳のとき江戸に下り,初代瀬川菊之丞に入門して瀬川金吾を名乗り,初め色子として出発した。若衆形を経て立役となり,宝暦6(1756)年,4代目市川団十郎に入門して市川武十郎と改名,和事を得意とした。のち市川染五郎,高麗蔵を経て,安永1(1772)年,36歳のとき師の前名を継いで4代目松本幸四郎となった。安永5年の評判記で上上吉,寛政5(1793)年には極上上吉にまでなって名優の名をほしいままにしたが,若いときからの苦労のゆえか性格には問題があったらしく,5代目市川団十郎や初代尾上菊五郎と紛争を起こした際なども,非は彼に多いとされた。 容姿に優れ,和事,実事を本領とし,舞踊ができ,晩年には実悪もよくした。台詞,特に警句に長じ,舞台における江戸っ子のべらんめえ調は彼に始まるといわれる。団十郎との争いののち,人気を落とした彼を作者の初代桜田治助が助け,緊密な提携をしたことは有名である。晩年には芸名実子の3代目高麗蔵に譲り,男女川京十郎と名乗った。<参考文献>伊原敏郎『近世日本演劇史』,守随憲治『歌舞伎序説』

(井草利夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松本幸四郎(4代)」の解説

松本幸四郎(4代) まつもと-こうしろう

1737-1802 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
元文2年生まれ。はじめ初代瀬川菊之丞(きくのじょう)門下,瀬川金吾,錦次を名のる。のち4代市川団十郎の門にはいり,染五郎,2代高麗蔵(こまぞう)をへて,安永元年4代幸四郎を襲名。和事,実事にすぐれた。当たり役は曾我十郎,畠山重忠(はたけやま-しげただ)など。晩年実子の3代高麗蔵に芸名をゆずり,男女川(おめがわ)京十郎を名のる。享和2年6月27日死去。66歳。京都出身。俳名は錦江。屋号は高麗屋。

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