松田春翠(読み)マツダ シュンスイ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「松田春翠」の解説

松田 春翠(2代目)
マツダ シュンスイ


職業
活動弁士

肩書
マツダ映画社長

本名
松田 美知雄

生年月日
大正14年

出生地
東京都

学歴
市川商〔昭和17年〕卒

経歴
父親が、東京・浅草を舞台に活躍した弁士初代春翠。6歳の時に日活のメロドラマ「浮世車」の弁士を務めてデビュー。戦時中は応召で中国大陸を転戦したが、芸能班に属し、芝居に語りに大活躍。戦後は弁士の傍ら無声映画フィルム集めと保存に尽力し、集めたフィルム7000巻の保存・上映のために、マツダ映画社を創立。昭和34年から月に1回のペースで無声映画鑑賞会を開催した。59年初の海外公演を西独とパリで開催。阪東妻三郎の大ファンで「ドキュメント阪妻」も製作・監督。63年アメリカ公演では「御誂治郎吉格子」「雄呂血」が、生前吹き込んだ“活弁トーキー版”で上映された。

受賞
東京都文化賞〔昭和60年〕

没年月日
昭和62年 8月8日 (1987年)

家族
父=松田 春翠(初代),息子=松田 豊(マツダ映画社専務)

伝記
映画俳優浅草のひと―久保田万太郎から渥美清まで 佐藤 忠男 著鈴木 としお 著(発行元 晶文社東京新聞出版局 ’03’89発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「松田春翠」の解説

松田 春翠(2代目)
マツダ シュンスイ

昭和期の活動弁士 マツダ映画社長。



生年
大正14(1925)年

没年
昭和62(1987)年8月8日

出生地
東京

本名
松田 美知雄

学歴〔年〕
市川商〔昭和17年〕卒

主な受賞名〔年〕
東京都文化賞〔昭和60年〕

経歴
父親が、東京・浅草を舞台に活躍した弁士の初代春翠。6歳の時に日活のメロドラマ「浮世車」の弁士を務めてデビュー。戦時中は応召で中国大陸を転戦したが、芸能班に属し、芝居に語りに大活躍。戦後は弁士の傍ら、無声映画のフィルム集めと保存に尽力し、集めたフィルム7000巻の保存・上映のために、マツダ映画社を創立。稲垣浩監督や映画評論家・佐藤忠男らと、昭和34年から月に1回のペースで無声映画鑑賞会を開催した。59年初の海外公演を西独とパリで開催。阪東妻三郎の大ファンで「ドキュメント阪妻」も製作。63年アメリカ公演では「御誂治郎吉格子」「雄呂血」が、生前吹き込んだ“活弁トーキー版”で上映された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松田春翠」の解説

松田春翠 まつだ-しゅんすい

1925-1987 昭和時代の映画弁士。
大正14年3月15日生まれ。父の初代春翠にならい,6歳でデビュー,東京浅草で活躍した。日本一の無声映画コレクションを有し,鑑賞会を昭和34年以来毎月ひらいた。60年映像文化への貢献で第1回東京都文化賞。昭和62年8月8日死去。62歳。東京出身。本名は松戸美知雄。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android