林忠崇(読み)ハヤシ タダタカ

20世紀日本人名事典 「林忠崇」の解説

林 忠崇
ハヤシ タダタカ

江戸時代末期・明治期の大名 旧請西藩主



生年
嘉永1年7月28日(1848年)

没年
昭和16(1941)年1月22日

出生地
江戸・浜町

出身地
千葉県

別名
通称=林 昌之助

経歴
上総請西藩主忠旭の五男。慶応3年20歳で襲封。4年戊辰戦争に際して佐幕遊撃隊の伊庭八郎、人見寧らと共に箱根官軍と戦い、敗れて東北に走り奥羽同盟軍に加わり抵抗したが、明治元年降服。東京唐津藩邸に禁固となったが、新政府は特にその家名を存続し、弟藤助忠弘に禄300石を賜い士族の地位を与えた。5年釈放され、のち旧領地請西に帰農。7年東京府中属となり、3年間務めた。著書に「林昌之助戊辰出陣記」「歌集おもひ出くさ」「一夢歌集」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「林忠崇」の意味・わかりやすい解説

林忠崇 (はやしただたか)
生没年:1848-1941(嘉永1-昭和16)

幕末期の上総請西(じようさい)藩主。通称昌之助。1867年(慶応3)20歳で家督を継ぐ。翌年の戊辰戦争に際しては佐幕遊撃隊の人見勝太郎,伊庭八郎らに呼応し,藩兵を率いて上総富津を攻めたり,箱根関所を襲うなどして官軍に抗戦。敗れて東北に走り奥羽同盟軍に加わる。諸藩降伏したので10月に降伏,東京に護送され唐津藩邸に禁錮の身となる。72年(明治5)に許され,長寿を全うした。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「林忠崇」の解説

林忠崇

没年:昭和16.1.22(1941)
生年:嘉永1.7.28(1848.8.26)
幕末の上総請西藩(千葉県)藩主。慶応3(1867)年8月家督相続。王政復古ののち,徳川に殉じる決意を表明。時に20歳。翌明治1(1868)年4月,藩士並びに人見勝太郎,伊庭八郎ら旧幕府遊撃隊を率いて木更津の陣屋を出立。海路を真鶴に上陸し,小田原藩との協同を図るが失敗。5月,箱根に新政府軍および小田原藩兵と交戦し敗北。熱海から館山へ,次いで咸臨丸により奥州小名浜に上陸。奥羽越列藩同盟軍に参軍するが,10月,徳川家の家名存続を知り降伏。所領没収の処分を受け,東京唐津藩邸に禁固された。同5年釈放。のち帰農。旧幕臣を招き上総鹿野山に戊辰戦争戦没者の三十年祭を行う。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林忠崇」の解説

林忠崇 はやし-ただたか

1848-1941 幕末の大名。
嘉永(かえい)元年7月28日生まれ。林忠旭(ただあきら)の5男。林忠交(ただかた)の養子となり,慶応3年(1867)上総(かずさ)(千葉県)請西(じょうさい)藩主林家3代。戊辰(ぼしん)戦争では新政府軍とたたかい,敗れて降伏し,除封されて東京唐津藩邸に禁固。明治5年釈放され,東宮職員などをつとめた。昭和16年1月22日死去。94歳。通称は昌之助。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の林忠崇の言及

【外務省】より

…海外諸国に駐在の使臣として,1870年10月,大弁務使,中弁務使,少弁務使,大記,少記の設置が布告され,72年10月,その名称は特命全権公使,弁理公使,代理公使,一等書記官,二等書記官,三等書記官に改められた。日露戦争後,欧米各国の日本公使館の大使館昇格に伴い,1905年12月に林董駐英公使が英国駐劄(ちゆうさつ)特命全権大使に任命されたのをはじめとし,以下米,独,仏,伊,墺,露各国駐劄公使が順次大使に昇格した。 おもな機構の変遷としては,1873年11月,弁事局,外事左局(欧州各国事務),外事右局(米・アジア両州事務),考法局,翻訳局,庶務局が設置され,機構がほぼ確立された。…

【中東】より

…明治時代以前の事情については,小林元の《日本と回教圏の文化交流史》(1975)が詳しい。 明治初期に在ロンドンの外交官林董が東本願寺の島地黙雷に請われて英文文献をもとにして《馬哈黙伝(マホメット伝)》(1876)を刊行している。これは明治維新後に日本の宗教制度を見直す参考とする意味をもっていた。…

【日英同盟】より

…1900年中国で起こった義和団の蜂起と列国によるその鎮圧は,イギリスをして東アジアにおける日本の軍事力に注目させる機会となったし,また日本は義和団事件中に行った厦門(アモイ)占領計画に失敗し南進の企画をくじかれ,一方,ロシアの満州駐兵が進み,日本が朝鮮,中国への侵略をはかるうえで,北方のロシアとの対立が深刻化した。こうしたなかで,01年4月,林董(ただす)駐英公使は日英間の永久的協約について見解を表明し,10月には日本政府は林公使に日英同盟商議の権限を正式に付与した。日本国内では,日露協商を説く伊藤博文らと,日英同盟を要求する桂太郎らの意見が対立,確執を生じもしたが,結局,02年1月30日,ロンドンで林駐英公使とランズダウン外相の間で日英同盟協約が調印され,即日実施された。…

※「林忠崇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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