枚方宿(読み)ひらかたしゆく

日本歴史地名大系 「枚方宿」の解説

枚方宿
ひらかたしゆく

京・大坂を結ぶ淀川左岸沿いの京街道(東海道)に設置された宿駅山城よど宿(現京都市伏見区)守口もりぐち宿(現守口市)との間に位置し、河内国茨田まんだ郡のおか岡新町おかしんまち三矢みつや泥町どろまちの四村で構成された。その成立は、「大阪府全志」をはじめ諸書が慶長六年(一六〇一)とするが、いずれも典拠が明らかでないうえ、地方文書からも確認はなされていない。慶長六年というのは、この年代官頭の伊奈忠次彦坂元正・大久保長安らが東海道を巡視し、東海道品川宿を手始めに宿駅の指定を行ったという「駅逓志稿」の記事によるものと推定される。しかし京街道は東海道の延長とみなされていたものの、東海道・京街道の宿駅が同年にすべて確定されたとは考えられず、それは寛永年間(一六二四―四四)をまたざるをえなかったといわれており、枚方宿の成立年次については検討を要する問題が残されている。なお史料には「牧方」と記されることが多い。江戸時代の東海道は一般的には江戸日本橋から京三条大橋まで、その間五三宿といわれるが、江戸幕府の交通制度である五街道の一つとしての東海道は京街道を含めて大坂きよう(現東区)まで、大津おおつ宿(現滋賀県大津市)以降、山城の伏見ふしみ(現伏見区)、淀、枚方および守口の四宿を加え、道中奉行管轄であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の枚方宿の言及

【枚方[市]】より

…豊臣秀吉築造の淀川の文禄堤上に京街道がつくられ,1601年(慶長6)その宿駅となった。枚方宿は堤防下に街村をなし,淀川舟運の河港でもあった。1876年淀川右岸に東海道本線が開通したため衰微したが,98年に関西鉄道(現,JR片町線),1910年に京阪電鉄が開通した。…

※「枚方宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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