日本歴史地名大系 「柳津村」の解説
柳津村
やないづむら
北上川に
正保郷帳に田一三二貫九〇六文・畑一五貫一六四文とあり、ほかに同所新田四貫九五〇文がある。「安永風土記」によれば田一四一貫五九一文・畑二〇貫九九八文(うち茶畑三五二文)で、蔵入は一九貫二九八文、給所は一四三貫三〇一文(田代畑代合計一〇文不足)、人頭二五九人(うち寺三・修験一)で、このうち寛永一八年(一六四一)の竿答百姓は一二一人であった。
柳津村
やないづむら
現柳津町の東部を占めた
「神鳳鈔」の尾張国に伊勢内宮領「田代喬嶋楊津御厨」が載り、楊津は当地に比定される。天正一五年(一五八七)正月吉日の伊勢神宮修理料并供田注文(慶光院文書)に柳津がみえ給人は池田照政であった。
柳津村
やないづむら
柳津村
やないづむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報