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柳生氏 やぎゅううじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

柳生氏
やぎゅううじ

大和国添上郡を中心に栄えた豪族。本姓菅原氏で道真の裔,大膳亮永家が春日社領小柳生荘を預って以来柳生氏を称したという。戦国時代末期から剣術家として知られ,7代目宗厳は上泉伊勢守より新陰流を伝授され,柳生新陰流の始祖となった。

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百科事典マイペディアの解説

柳生氏【やぎゅううじ】

江戸時代の大和国の譜代(ふだい)大名平安時代,現在の奈良市にあった大和国小楊生(こやぎゅう)郷(のちの柳生村)に菅原永珍(ながよし)が代官として入部したのが始まりという。
→関連項目柳生

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世界大百科事典 第2版の解説

やぎゅううじ【柳生氏】

大和国の近世大名。徳川将軍家剣術師範として知られる。平安時代,関白藤原頼通春日神社に神供料所として寄進した神戸四ヵ郷の一つの小楊生郷(のち柳生村)に代官として菅原永珍(ながよし)が入部したのに始まるというが,戦国時代に春日神戸代官として美作守家厳(いえよし)があり,その子の新左衛門尉宗厳(石舟斎)が柳生新陰流を起こして自立した。松永久秀に属したため筒井順慶に追われて閉居したが,1594年(文禄3)徳川家康に召されて剣法を伝授したのに始まり,1600年(慶長5)関ヶ原の戦には嗣子の宗矩(むねのり)とともに功をたて,宗矩は秀忠,家光の剣術師範となり,さらに大目付に起用され1636年(寛永13)1万石(1万2500石)の大名に列し但馬守を称した。

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