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柳生十兵衛 ヤギュウジュウベエ

百科事典マイペディアの解説

柳生十兵衛【やぎゅうじゅうべえ】

江戸初期の剣客。柳生宗矩の長男。名は三厳(みつよし),重兵衛とも。1619年徳川家光に小姓として出仕,1626年家光の勘気にふれ致仕し,大和(やまと)柳生の道場で家法新陰流の研究と門弟の指導にあたったようである。荒木又右衛門の師。1638年には再出仕している。ふつうこの十兵衛以後の流儀を柳生流と呼ぶ。
→関連項目柳生氏柳生宗冬

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世界大百科事典 第2版の解説

やぎゅうじゅうべえ【柳生十兵衛】

1607‐50(慶長12‐慶安3)
江戸時代初期の剣豪柳生新陰流,将軍家師範。柳生宗矩(むねのり)の嫡男で,はじめ七郎,のちに十兵衛三厳(みつよし)という。剣の実力は父をしのぎ,当代随一の剣豪といわれた。1619年(元和5)徳川家光の小姓として出仕したが,26年(寛永3),理由は明らかでないが家光の勘気により致仕した。その後38年再出仕するまで,大和柳生の道場で家法新陰流のくふう研究と門弟の指導に日を送ったようである。兵法の思索研究の成果は《月之抄》(1642)として残る。

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大辞林 第三版の解説

やぎゅうじゅうべえ【柳生十兵衛】

1607~1650) 江戸初期の剣客。名は三厳みつよし。宗矩の長男。柳生新陰流を究め、将軍家光の密命を受けて、諸国を巡歴したという巷説がある。

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世界大百科事典内の柳生十兵衛の言及

【柳生三代記】より

…いわゆる武勇物の一つ。柳生流剣術の祖,柳生宗厳(むねよし),その子で将軍指南役となった柳生宗矩(むねのり),およびその嫡男柳生十兵衛三厳(みつよし),三厳の弟柳生又十郎(のちの飛驒守宗冬(ひだのかみむねふゆ))の柳生家3代の物語。ふつう,宗矩,十兵衛三厳,又十郎(宗冬)の3人が中心に演じられ,それぞれの独立した講談もある。…

※「柳生十兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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