改訂新版 世界大百科事典 「柵原鉱山」の意味・わかりやすい解説
柵原鉱山 (やなはらこうざん)
岡山県中東部,久米郡美咲町の旧柵原町にあった硫化鉄の鉱山。慶長年間(1596-1615)に鉱床上部の褐鉄鉱の露頭が発見されたと伝えられるが,本格的な開発は明治に入ってからであり,はじめは褐鉄鉱の鉱山としてであった。その後,周辺部や下部の鉱床が発見され,1916年から藤田組(現,同和鉱業)によって大規模な採掘が始まった。とくに第2次大戦後は,硫酸増産のため隆盛を極め,月産7万tの大鉱山となった。しかし,その生産も91年に停止(閉山)した。鉱量の低下と硫黄価格の低下によるものである。現在は卯根倉鉱業が坑内から湧出する強酸性の鉱廃水の処理を行っている。また,きわめてわずかではあるが,この鉱廃水を利用して沈降剤や脱臭剤を作り,また廃水処理の過程で発生する酸化鉄を回収して,べんがらを製造している。鉱床の成因については多くの議論がある。二畳紀の粘板岩と三畳紀,白亜紀の輝緑岩,石英セン緑岩の境界部にレンズ状,塊状の硫化鉄の鉱床が胚胎し,最大の下部鉱体は3300万tの鉱量を有した。一次採掘にサブレベル採掘法を,二次採掘に充てん採掘法などを適用した。
執筆者:山口 梅太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報