栃尾村
とちおむら
[現在地名]舞鶴市字栃尾
河辺谷の最奥に位置し、ここから大山村を通り、田井・成生・野原など大浦半島北部の沿海村に、南へは笹部村に通ずる交通の要地である。
延徳二年(一四九〇)の河辺村半済方御年貢米銭納帳写(「西大浦村誌」所引)に、
<資料は省略されています>
とある。近世に入り慶長検地郷村帳に高二六二・八四石「栃尾村」とみえるが、江戸後期の土目録では二五三石余と九石余減高となっている。
栃尾村
とちおむら
[現在地名]上宝村栃尾
高原川と蒲田川の合流点にあり、西は今見村。元禄飛騨国検地反歩帳では高原郷に属し、高一一石余、田四反余・畑三町一反余。「飛騨国中案内」では免四割五分九厘余、家数一七はみな百姓。天明八年(一七八八)の村明細帳によると、田三石余・畑一七石余、うち新田高九石余、反別田八反余・畑六町八反余、家数一六、男二六・女二八、牛六。「斐太後風土記」によると村域は縦七町四二間・横五〇間、家数一七・人数八〇余。
栃尾村
とちおむら
[現在地名]金沢市栃尾町
板ヶ谷村の北、浅野川支流の医王山川と板ヶ谷川に挟まれた山間部に位置。正保郷帳では折谷村と並記され、高一四八石余、田方三町六反余・畑方六町二反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高一二四石、免五ツ八歩、小物成は山役二八一匁・蝋役三匁・綿役一匁・炭役四九匁(三箇国高物成帳)。
栃尾村
とちおむら
[現在地名]天川村大字栃尾
天ノ川流域、和田村の北に立地。天川郷のうち。慶長郷帳には村高一〇三・八二六石。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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