精選版 日本国語大辞典 「栗田土満」の意味・読み・例文・類語 くりた‐ひじまろ【栗田土満】 江戸中期の歌人、国学者。通称民部。号岡廼舎。遠江の人。賀茂真淵、のち本居宣長に師事。古学に通じ、万葉調の歌を詠む。著に「岡廼舎家集」「神代巻葦芽」など。元文二~文化八年(一七三七‐一八一一) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 「栗田土満」の意味・わかりやすい解説 栗田土満 (くりたひじまろ)生没年:1737-1811(元文2-文化8) 江戸中期の国学者。通称は民部。号は岡廼舎(おかのや)。遠江国平尾広幡宮神主。31歳で江戸に出,賀茂真淵に学ぶ。もっぱら国学を修め歌道に精通する。万葉風の歌をよくした。真淵の死後49歳で本居宣長に入門。《古事記伝》第21巻の板下は彼が書いた。荒木田久老,村田春海とも交友し,門下から石川依平,服部菅雄らが出た。著書に《神代巻葦芽抄》《岡廼舎歌集》など。執筆者:南 啓治 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「栗田土満」の解説 栗田土満 没年:文化8.7.8(1811.8.26) 生年:元文2(1737) 江戸中期の国学者,歌人。通称民部。号岡の屋。遠江国城飼郡平尾村(静岡県小笠郡菊川町)の神官の家に生まれる。明和4(1767)年に江戸に出て賀茂真淵に入門,真淵の没後は本居宣長に入門して,正統の国学を修めた。その実直な性格から地道な学問に身を入れ,派手さはないが信頼度の高い考証や雑記を多くものした。また真淵の影響から万葉調の和歌をよくした。自筆の『栗田土満詠草』は晩年の作を集成したもので貴重。<参考文献>中村幸彦『中村幸彦著述集』12巻 (久保田啓一) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栗田土満」の解説 栗田土満 くりた-ひじまろ 1737-1811 江戸時代中期-後期の歌人,国学者。元文2年生まれ。遠江(とおとうみ)(静岡県)平尾村の平尾八幡宮神職。賀茂真淵(かもの-まぶち),本居宣長(もとおり-のりなが)にまなぶ。万葉調の歌人として知られ,国学をおしえた。文化8年7月8日死去。75歳。通称は民部。号は岡廼舎,冬雁。著作に「神代紀葦牙(あしかび)」,歌集に「岡屋歌集」など。【格言など】枝高き木末(こずゑ)をつたふむさゝびのあやふき恋も我はするかも(「岡屋歌集」) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「栗田土満」の意味・わかりやすい解説 栗田土満くりたひじまろ [生]元文2(1737)[没]文化8(1811)江戸時代中期の歌人。遠江国平尾広幡八幡宮の神主。初め賀茂真淵に学び,のち本居宣長の門下となる。万葉風の歌をよくする。家集『岡廼舎集』のほか『神代巻葦牙』がある。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by