桂文三(読み)カツラ ブンザ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「桂文三」の解説

桂 文三(3代目)
カツラ ブンザ


職業
落語家

本名
高田 留吉

別名
前名=桂 当昇(笑),桂 吾市,林家 染丸,桂 扇枝(初代)

生年月日
安政6年

出生地
大坂・丼池(大阪府)

経歴
大阪船場の大工の子。7歳の時父と死別。奉公先を転々としたのち、2代目桂文昇の門人となり当昇(笑)を名乗る。さらに3代目桂文吾の門人吾市を経て、明治18年頃京都に行き林家染丸(短期間のため染丸の代数には含まれていない)と改名。帰阪後、2代目桂文枝の門人となり初代桂扇枝と名乗る。27年12月3代目桂文三を襲名。桂派幹部の一人として活躍。“松づくし”を踊り得意芸の一つする。しかし、やがて派内で摩擦が生じ41年6月桂派を除名され、京都芦辺館に出演。大正2年大阪に復帰した時には、完全に失明し脊髄を病んでいたが、それでも、なお高座をつとめた。赤塗りの人力車に乗ったり、金づくめの派手ないでたちでひんしゅくを買う時期もあったが、人情噺・滑稽噺など万能の芸をもつ“名人文三”と云われるようになった。

没年月日
大正6年 7月16日 (1917年)


桂 文三(2代目)
カツラ ブンザ


職業
落語家

別名
前名=桂 小文吾(2代目)

生年月日
万延1年

出生地
大坂(大阪府)

経歴
大坂・淡路町難波橋角の提灯屋の息子。初め3代目桂文吾門で2代目小文吾と名乗る。のち2代目桂文枝門に移り、明治17年2代目文三を襲名。弱冠24歳で2代目桂文枝・2代目桂文都に伍して中軸看板を上げるまでになった。落語界には珍しい美男子で若旦那風のおっとりとした口調で上手かったと云われる。なかでも妻・おさん三味線で演じる「立切れ」は逸品だったと伝えられる。2代目林家木鶴の養子となり、一時期3代目木鶴を名乗ったが、21年文三に復名。32歳の若さで早逝した。

没年月日
明治24年 5月5日 (1891年)


桂 文三(4代目)
カツラ ブンザ


職業
落語家

本名
高田 卯之助

別名
前名=桂 小文吾,桂 小文三

生年月日
明治11年

経歴
3代目桂文三の子。18歳で父の弟子を頼って神戸で高座にあがり、その後、父の正式な許しを得て小文吾を名乗り、主に京都で修業を積む。明治37年小文三に改名。大正10年4代目文三を継ぐも半年後に急死した。

没年月日
大正10年 10月10日 (1921年)

家族
父=桂 文三(3代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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