国指定史跡ガイド 「桂春院庭園」の解説
けいしゅんいんていえん【桂春院庭園】
京都府京都市右京区花園寺ノ中町にある庭園。桂春院は妙心寺(みょうしんじ)山内に建立された塔頭(たっちゅう)寺院の一つで、1598年(慶長3)に織田信長の嫡男(ちゃくなん)である織田信忠(のぶただ)の二男、津田秀則によって見性院(けんしょういん)として建立された。その後、美濃の豪族である石河壱岐守貞政(いしかわいきのかみさだまさ)が亡父の50回忌の追善供養のために、現在の方丈や庫裏、書院、茶室などの建築物を整備し、その際に「桂春院」と改めた。庭園は大きく4つに分かれ、「清浄の庭」は方丈北側の坪庭に岩を配して白砂で造った清流と、石組みで造った枯れ滝などを築いている。「思惟の庭」は方丈東側の築山に十六羅漢石を置いたり、中央の敷石を座禅石に見立てて、仙境のような雰囲気を表現している。また、「真如(しんにょ)の庭」は方丈南側の崖(がけ)をツツジの刈り込みで覆い、その向こう側が一段低くなってカエデの樹木で覆われて一面が美しく苔(こけ)むし、中に置かれた庭石がさりげなく7・5・3風に配置されている。さらに「侘(わ)びの庭」は書院の前庭から飛び石伝いに茶室に通じる路地庭で、狭くても巧みに空間を利用して造られている。庭園の作者や年代については明らかでないが、江戸時代初期に小堀遠州の弟子の玉淵坊(ぎょくえんぼう)が妙心寺の他の塔頭の庭園を作庭したり、真如の庭の7・5・3風の石組みが小堀遠州系の手法であることから、玉淵坊作といわれている。1931年(昭和6)に国の名勝・史跡に指定された。JR山陰本線花園駅から徒歩約15分。