金属工業(読み)きんぞくこうぎょう

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金属の精錬、加工を行う製造業の総称。
 金属工業は大きく、鉄鋼業と非鉄金属工業(銅、鉛、亜鉛、アルミニウム、レアメタル等)に分かれる。また製造工程でみると、金属鉱物資源から金属を抽出する工程と、できた金属を機械部品等に加工する工程に分かれる。
 金属工業を技術の面からみると次の三つの部門に分かれる。
(1)鉱山技術 探査技術、採鉱技術、選鉱技術、鉱山保安・通風・排水技術。
(2)製錬技術 鉱石から金属を抽出する段階の技術。
(3)加工・利用技術 金属から厚板、薄板、電線などに加工する段階の技術。
金属工業はこれらの「技術の総合」から成り立っている。[黒岩俊郎]

金属工業の歴史

古代から人間は、鉄器、銅品などを利用し、また装飾用に金や銀などを使ってきた。しかし工業として、大量に金属を生産、利用するようになったのは、16~17世紀ごろ、産業が大きく発展しはじめてからである。やがて産業革命が起こり、機械(蒸気原動機、汽車、汽船など)が登場すると、金属製錬でもより大量生産が可能なパドル法(攪拌(かくはん)しながら製錬を行う)が登場してくる。しかし、鉄道、汽車などの時代が始まると、こうした方法ではまにあわず、イギリスのジーメンス、トーマス、ベッセマーらによる、より大量生産が可能な溶鋼技術が登場してくる。この方法によって、従来使用できなかった高燐鉱(りんこう)も利用できるようになった。
 銅は、はじめ青銅として構造用材料に使われていたが、電灯、電気通信といった電気の利用技術が実用化される時代になると、電気の良導体としての銅の大量消費が始まる。1860年ウィリアム・へインズによる浮遊選鉱法に始まり、1880年には転炉法(炉の中に空気を吹き込み硫黄分、鉄分などを除去する)が登場し、銅の大量生産が可能となった。
 ほぼ同じころ、航空機が登場し、電力の長距離送電の時代に入ると、アルミニウムは、(1)軽量であること、(2)電気の良導体であることから、その需要が開けていった。とくに1886年アメリカの化学技術者ホールCharles Martin Hallにより、熔融氷晶石の中にアルミナを溶解し電解することによってアルミニウムを製造する方法(ホール‐エルー法)が確立してからアルミニウムの大量生産が始まった。
 第二次世界大戦前後になると、原子力、航空宇宙、エレクトロニクス産業などが登場してくる。それまでは、その特異な性質から自然科学の研究の対象にしかすぎなかった金属(チタン、ジルコン、タンタル、ウラン、ゲルマニウム等)が、その性質ゆえに用途が開かれていった。レアメタル(希金属)とよばれる金属群がそれである。
 第二次世界大戦後、鉄鋼業をはじめ金属生産技術は大きな発展をとげた。鉄鋼業を例に述べると、鉄鋼業の生産工程の前半は、高炉、転炉といった装置産業であり、後半は、圧延など機械工業の工程である。装置産業の特徴として、需要さえあれば、一貫して大型化を続けていく。終戦直後は、日産1000トン高炉が最大であったが、いまでは日産1万トン高炉と大型化を続けている。また平炉などによる製鋼にかわって、純酸素上吹(うわぶき)転炉が出現している。鉱石の事情がついていけないため、高炉の大型化に伴い、鉱石を高炉に入れる前に「事前処理」をする技術などが登場している。[黒岩俊郎]

金属の生産量

2008年、世界では13億2610万トンの粗鋼の生産が行われた。このうち、第1位は中国(5億0005万トン)、第2位は日本(1億1874万トン)、第3位はアメリカ(9135万トン)となっており、この3国だけで7億1014万トンと全世界の粗鋼生産の54%に達する。次に銅生産をみると、2007年、世界では1800万トンの精製銅の生産が行われた。このうち、第1位は中国(350万トン)、第2位はチリ(294万トン)、第3位は日本(158万トン)である。この3国だけで802万トンと全世界の精製銅生産の45%に達する。次にアルミニウムの生産をみると、2007年、世界では計3900万トンの一次アルミニウムが生産されたが、第1位は中国(1320万トン)、第2位はロシア(380万トン)、第3位カナダ(312万トン)となっている。この3国だけで2012万トンと全世界の一次アルミニウム生産の52%に達する。粗鋼、銅、アルミニウムといった工業の基礎的材料のいずれも、生産量のトップを中国が占めるに至ったということは画期的な事実である。中国は人口も多く、かつ「工業化」のスタートを切ったばかりであり、大量の基礎素材が必要となっているということがよくわかる。後にも記すが、中国は現代の工業のビタミンともいうべきレアメタルの生産量もずば抜けており、世界のトップとなっている。[黒岩俊郎]

日本の金属工業


歴史
日本の金属工業の歴史を鉄鋼を中心にみてみよう。
 日本では、山陰地方を中心に、日本独自の製鉄技術が発展していた。たたら製鉄とよばれる砂鉄を原料としたものである。徳川家康が大阪城を攻撃するのに、堺(さかい)の鉄砲鋳物師に命じ、鉄製大砲を製造したことはよく知られている。しかしその後、徳川家光の代に鎖国政策をとったことが、欧米と日本の製鉄技術の発展に非常に大きな差異を生んでいった。すなわち、陸続きの欧米では、絶えざる戦争により、攻撃兵器の鉄砲と、防護手段としての盾は互いを前提となりながら発展していった。また産業革命により機械生産が本格化されていくと「より強力な鉄鋼」が大量に求められるようになってきた。一方、日本では徳川時代の鉄需要は中世に逆戻りし、たたら製鉄で充分であった。こうした差異に、いやが応でも直面させられるのが、幕末になり、海防問題が急拠(きゅうきょ)起こってからである。ようやく大島高任(たかとう)らの努力により洋式高炉法が伝えられ、釜石(かまいし)鉄山に洋式高炉が建設された。
 明治時代になり、日本の近代化を進めるのに、大量の鉄鋼が必要であることから、1901年(明治34)福岡県八幡(やはた)村(現北九州市)に、官営八幡製鉄所が建設された。明治の終わりから大正にかけ、日本鋼管、関西平炉メーカー(住友金属工業、川崎製鉄、神戸製鋼所)などの民間企業がこの分野に進出した。
 第二次世界大戦後、限られた国土に、さしたる天然資源もない宿命から加工立国を目ざして復興が始まった。このとき日本のとった工業化の路線は、非常にユニークであった。つまり、(1)海外資源を導入し、(2)海外技術を導入し、(3)太平洋ベルト地帯に工場を展開する、というものであった。そのため大型の鉱石専用船を建造し、海岸立地の工場で製錬、その近くで自動車工場を建設し、製品を輸出するという戦略がとられた。この方法は2、3の問題はあるが日本の戦後工業の復興に大きな役割を果たした。この場合、日本は「技術のたね」を導入し、その工業化を世界にさきがけて行うというものであった。そのため現在では、日本の製鉄技術は、世界中に輸出されている。2007年(平成19)における鉄鋼部門の技術輸出は248億2300万円、技術輸入は71億0500万円と大幅に出超となっている。[黒岩俊郎]
レアメタル備蓄政策
鉄鋼部門のみならず、エレクトロニクス等のハイテク分野で日本の技術は世界のトップ水準となっている。しかし、資源はほとんど輸入に依存している。日本の得意なエレクトロニクスもレアメタルの100%を海外資源に依存している状態では、もし海外からの輸入が止まれば、たちまちお手あげとなる。これまで、代替が困難で、中国、アフリカ諸国、ロシア、南北アメリカ諸国など、供給国の偏りが著しいレアメタル7鉱種(ニッケル、クロム、モリブデン、マンガン、タングステン、コバルト、バナジウム)について、経済安全保障の観点から短期的な供給障害等に備えて備蓄制度を国家備蓄および民間備蓄として実施してきた。2009年7月からは、液晶パネルの材料となっているインジウムおよび発光ダイオード(LED)の材料となるガリウムの2鉱種が追加され、これまでの7鉱種と同様に、42日分の国家備蓄目標の達成を目ざすこととなっている。備蓄目標は、民間備蓄の18日分とあわせて国内消費量の60日分としており、2009年2月現在の平均備蓄量は40.2日となっている。[黒岩俊郎]

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