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梅屋庄吉

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

梅屋庄吉

長崎市生まれ。孫文(1866~1925)の革命思想に共鳴し、「君は兵を挙げたまえ、我は財を挙げて支援す」と盟約を結んだ。日活の前身の日本活動写真株式会社の創設者の一人で、映画興行で財を成した。現在の貨幣価値で1兆円以上とも言われる資金を提供して辛亥革命を支援した。

(2013-06-18 朝日新聞 朝刊 長崎 1地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

梅屋庄吉 うめや-しょうきち

1869*-1934 明治-昭和時代前期の実業家。
明治元年11月26日生まれ。シンガポールフランスのパテー社の映画を購入,Mパテー商会を設立して全国で興行。南極探検の白瀬矗(のぶ)の記録映画を製作。のち日本活動写真(日活)の創立に参加。また中国革命と孫文の亡命をたすけた。昭和9年11月22日死去。67歳。長崎出身。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

梅屋庄吉

没年:昭和9(1934)
生年:明治1(1868)
明治大正期の映画企業家。長崎生まれ。若いころ香港で写真館を経営,のちシンガポールでフランスのパテー会社のフィルムを購入して帰国。のち映画会社Mパテー商会を設立,明治39(1906)年より映画興行や製作に乗り出す。白瀬中尉の南極探検(1910)には撮影班を派遣し,貴重な記録映画を製作した。当時は日本映画の揺籃期で吉沢商店,横田商会,福宝堂などが製作興行を行っていたが,明治末期の不況から梅屋は3社を説きMパテーと合同,大正1(1912)年日本活動写真株式会社(日活)の創立に成功した。以後映画界から遠のくが,草創期の映画事業家横田永之助,河浦謙一らと共に忘れられぬ存在である。<参考文献>田中純一郎『日本映画発達史Ⅰ』

(長崎一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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