森田城跡(読み)もりたじようあと

日本歴史地名大系 「森田城跡」の解説

森田城跡
もりたじようあと

[現在地名]和束町大字白栖 西谷

和束川河谷に北西より延びる丘陵の先端、森田山にある。この地は、城跡の北西腰越こしごえ谷からこまつじ(現山城町と綴喜郡井手町境)を経て神童子じんどうじこま(現山城町)に通じると推定される古道沿いにもあたる。白栖しらす城ともいう。中世、森田氏の居城といわれる。ちなみに腰越谷を経て西へゆくと綴喜郡井手いで(現井手町)へ、北へゆけば宇治田原うじたわら(現綴喜郡宇治田原町)へ至る。


森田城跡
もりたじようあと

[現在地名]那須町森田 輪之内

龍崖りゆうがい城とも称し、あら川右岸の低丘陵地にある。丘陵頂から麓までを利用した複郭式で、東西約二五〇メートル、南北約三〇〇メートルの城域を有する。周辺森田地内には高館たかたて城跡、根小屋ねごや城跡などが残り、当城に関連した施設と考えられる。「那須郡誌」などによれば文治二年(一一八六)那須資隆(与一宗隆の父)の長男太郎光隆の築城と伝え、以後那須氏一族が城主であったという。康正二年(一四五六)古河公方足利成氏と上杉房顕との争いの渦中、宇都宮明綱、烏山からすやま城主那須資持らは成氏方にくみしたが、「森田・向田」が那須氏から離反(正月一六日「足利成氏書状写」那須文書)、成氏は宇都宮明綱に「森田新要害」を改め落すように命じている(四月一九日「足利成氏書状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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