20世紀日本人名事典 「植松寿樹」の解説 植松 寿樹ウエマツ ヒサキ 大正・昭和期の歌人 生年明治23(1890)年2月16日 没年昭和39(1964)年3月26日 出生地東京市四谷区舟町(現・東京都新宿区) 学歴〔年〕慶応義塾大学理財科〔大正6年〕卒 主な受賞名〔年〕日本歌人クラブ推薦歌集(第11回)〔昭和40年〕「白玉の木」 経歴中学時代から短歌を発表し、慶大卒業後は加島銀行、大倉商事を経て、大正12年から芝中学の国語教師となる。その間の大正3年「国民文学」創刊に参加。10年「庭燎(にわび)」を刊行。以後「光化門」「枯山水」「渦若葉」「白玉の木」を刊行。昭和21年「沃野」を創刊した。歌集以外の著書に「近世万葉調短歌集成」「江戸秀歌」などかある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「植松寿樹」の意味・わかりやすい解説 植松寿樹うえまつひさき(1890―1964) 歌人。東京生まれ。慶応義塾大学理財科卒業。窪田空穂(くぼたうつぼ)に師事し、1921年(大正10)歌集『庭燎(にわび)』で冴(さ)えた感性の作を示した。以後『光化門』(1929)、『枯山水(かれさんすい)』(1939)、『白玉の木』(1964)と滋味と気品を加えていった。46年(昭和21)歌誌『沃野(よくや)』を創刊主宰。『新釈橘曙覧(たちばなあけみ)歌集』(1926)など近世和歌に関する著書もある。[武川忠一] 眼(め)を閉ぢて深きおもひにあるごとく寂寞(じゃくまく)として独楽(こま)は澄めるかも『『植松寿樹全歌集』(1976・新星書房)』 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「植松寿樹」の解説 植松寿樹 うえまつ-ひさき 1890-1964 大正-昭和時代の歌人。明治23年2月16日生まれ。窪田空穂(くぼた-うつぼ)にまなび,「国民文学」創刊に参加,主要同人。第1歌集「庭燎(にわび)」がたかく評価される。昭和21年「沃野(よくや)」を創刊,主宰した。昭和39年3月26日死去。74歳。東京出身。慶大卒。著作に「新釈橘曙覧(たちばなあけみ)歌集」など。【格言など】西蔵(チベツト)のはだか菩薩の絵を見れば男のなやみあへて隠さず(「庭燎」) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by