コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

槇有恒 まきありつね

2件 の用語解説(槇有恒の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

槇有恒
まきありつね

[生]1894.2.5. 仙台
[没]1989.5.2. 神奈川
登山家。 1917年慶應義塾大学卒業。アメリカイギリススイスに留学し,新しい登山技術を日本に紹介し,近代登山の発展に大きく貢献した。 1925年カナダマウントアルバータ (3619m) の初登頂に成功し,次いで 1956年第3次日本マナスル登山隊の隊長としてネパールに遠征,世界有数の高峰マナスル (8125m) 初登頂を成し遂げた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

槇有恒
まきありつね
(1894―1989)

日本に近代登山を導入した登山家。仙台市に生まれる。12歳のとき父に連れられて富士登山をしたことが生涯を通じての山との関係の始まりとなった。慶応義塾大学在学中に慶大山岳会を設立、1917年(大正6)法学部卒業後、オックスフォードプリンストンベルン各大学に留学した。21年アイガー東山稜(さんりょう)初登攀(とうはん)に成功し、日本人登山家の存在を世界に印象づけた。帰国後、アルプスの岩登りや氷雪登攀の技術を伝えて日本の登山界の発達に大きく貢献した。25年日本初の海外遠征登山隊を率いてカナディアン・ロッキーズのアルバータ山初登頂。56年(昭和31)第三次マナスル隊隊長として今西寿雄(ひさお)隊員らの登頂を成功させた。8000メートル級の処女峰の日本人による初の登頂であり、日本に登山ブームのおこるきっかけとなった。第4代(1944~46)、第7代(1951~55)日本山岳会会長。日本、スイス、アメリカ、カナダ各山岳会名誉会員。仙台市名誉市民。文化功労者。[徳久球雄]
『槇有恒編『マナスル登頂記』(1956・毎日新聞社) ▽槇有恒著『わたしの山旅』(岩波新書)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

槇有恒の関連キーワード日清戦争レーザレーダ追突警報装置リーケの原理日清戦争ロシア映画熔結凝灰岩濱田万葉里見☆しのぶ平成金星探査機

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone

槇有恒の関連情報