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武周革命 ぶしゅうかくめいWǔ Zhōu gé mìng

世界大百科事典 第2版の解説

ぶしゅうかくめい【武周革命 Wǔ Zhōu gé mìng】

中国で,690年に睿宗(えいそう)の生母である太后の武氏(則天武后)が,皇帝となって国号をと改め,唐朝を中断させたことをいう。病弱の高宗に代わって政務を決裁してきた武后は,朝廷における実権を掌握してしまい,683年(弘道1)に高宗が亡くなると,武后の子である太子哲が即位して中宗となったが2ヵ月たらずで廃され,つぎに立った睿宗もまったくの傀儡(かいらい)にすぎなかった。武太后は有能な密告者を官に取り立てて秘密警察の網の目を強化し,唐の宗室を排除しつくしたあげく,中国上代の理想の世とされる周朝を再現せんとし,また愛人の怪僧薛懐義(せつかいぎ)らに《大雲経》という仏典に付会した文章を作らせ,〈太后は弥勒(みろく)仏の下生なり,まさに唐に代わって帝位につくべし〉と宣伝させたのである。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内の武周革命の言及

【則天武后】より

… 女性の皇帝は,中国史において空前絶後である。両京および諸州に大雲経寺を設けたりしたが,このいわゆる武周革命によって成立した周朝は,わずか15年で瓦解する。武周政権は彼女一代で幕を閉じ,中宗の復位によって唐朝が復活する。…

【大雲経】より

…国王の仏教保護を説くこの仏典には,浄光天女が王位をつぐ,という一節があった。唐の則天武后の愛人,薛懐義(せつかいぎ)は,洛陽の僧法明ら9人と共同で,この経に付会した讖文をつくり,〈太后は弥勒仏の下生なり,まさに唐に代わって帝位に即くべし〉と宣伝し,689年(永昌1)7月にはこの経を全国にわかち,いわゆる武周革命の端緒を開いた。【礪波 護】。…

※「武周革命」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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