日本歴史地名大系 「比丘尼町」の解説 比丘尼町びくにまち 三重県:四日市市四日市町比丘尼町[現在地名]四日市市元(もと)町・中部(ちゆうぶ)南(みなみ)町の西裏にあり、北は西(にし)町、西・南は浜田(はまだ)村地。旧版「四日市市史」によれば、尼僧の居住したことによる町名と伝え、寛永一〇年(一六三三)には比丘尼町がでるという。延享二年(一七四五)の四日市古絵図写(四日市市立図書館井島文庫蔵)は町の西に薬師寺、郷蔵、西南に山神がみえる。明和五年(一七六八)の四日市町絵図(同文庫蔵)では東西一三六。町の西は本田一八町余、畑一町五反余で、一部は居屋敷地。 比丘尼町びくにちよう 熊本県:熊本市熊本城下比丘尼町[現在地名]熊本市水道(すいどう)町北は明円寺(みようえんじ)町、南は四軒(しけん)町、東は白川、西は水道町に囲まれる東西の通り筋で、現在の水道町八番地南側、七番地北側、九番地中央部にあたる。江戸時代には武家屋敷であったため町名がなかったが、明治一三年(一八八〇)比丘尼町と称した。由来は明確でない。宝暦四年(一七五四)頃には東半分の北側に鉄炮者屋敷九が並ぶ。通り南側には屋敷がなく、比丘尼町と四軒町を結ぶ白川河畔の南北小路の東側に六、西側に六の鉄炮者屋敷が並ぶ。 比丘尼町びくにまち 福井県:大野市大野城下比丘尼町[現在地名]大野市日吉(ひよし)町五番(ごばん)通の東、寺町(てらまち)通との間に平行する小路に面する町。町内の時宗遊行派の尼僧庵奥寮(現奥ノ院)から町名が起こったと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by