改訂新版 世界大百科事典 「民衆演劇」の意味・わかりやすい解説
民衆演劇 (みんしゅうえんげき)
民衆のための演劇。演劇史上また演劇学上,必ずしも明確な概念が確立されているわけではない。洋の東西を問わず古くから民衆のための演劇は存在したが,この概念がとりたてて俎上にのせられるようになったのは,19世紀以降のヨーロッパ,とりわけフランスとドイツにおいてである。その概念は,政治的にはどちらかといえば改革的で,芸術的にはやや前衛的といえるような,大衆的な演劇であるといってよい。つまり,そこでは近代的な社会における真に大衆的で民衆的な演劇とは何かということが考えられており,たとえば社会主義国の演劇が必ずしも民衆演劇とはいえないし,あるいはE.イヨネスコがいうように,実験演劇が民衆演劇にならぬともかぎらぬのである。
それはともかくとして,歴史的に見ると,ドイツでは古くは1870~80年代の〈マイニンゲン一座〉の巡業活動,19世紀末のO.ブラームの〈自由舞台〉,そしてそれに刺激されて誕生した観客組織〈民衆劇場〉,そして第2次大戦後ではB.ブレヒトと〈ベルリーナー・アンサンブル〉の仕事などが民衆演劇の動きとして注目されるし,フランスでは19世紀末のA.アントアーヌと〈自由劇場〉,ロマン・ロランの《民衆演劇論》(1900)の提唱,そして両大戦間のJ.コポー,C.デュランの舞台造形などが,民衆演劇の動きとして特筆されよう。しかし〈民衆演劇〉というと,現代におけるその言葉自体の固有名詞的な記憶としては,何といっても第2次大戦後の1950年代,南フランスのアビニョンと,パリの〈国立民衆劇場Théâtre National Populaire〉(略称TNP(テーエヌペー))を舞台に活躍したJ.ビラールの業績をあげなければならない。彼は古典を主としていたが,それをフレッシュな新演出により,また芸術的純度を落とさずに上演して,大観衆を舞台に引き付けることに成功した。60年代以降,大衆社会とマス文化の変貌とともに,そもそも〈民衆〉とはいったい何であるのかといったような点からも,ますます旧来の演劇は根本的な再検討を余儀なくされているわけで,ヨーロッパでは,そうした問題提起も受けて,A.ビテーズ,R.プランション,P.シェロー,A.ムヌーシュキン(以上フランス),G.ストレーレル(イタリア),P.シュタイン(ドイツ)らが,新しい民衆演劇を模索している。
執筆者:渡辺 淳
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報