民衆劇場(読み)みんしゅうげきじょう(英語表記)Volksbühne

改訂新版 世界大百科事典 「民衆劇場」の意味・わかりやすい解説

民衆劇場 (みんしゅうげきじょう)
Volksbühne

ドイツ演劇組織。〈民衆舞台〉とも訳される。1890年,労働者を対象とした観客組織・観客団体としてベルリンで設立された。その成立には,自由劇場の運動からの示唆影響も大きいといわれている。92年にはプチブル的な傾向をもつ部分が分裂して〈新自由民衆劇場〉をつくったが,1914年に再び統合された。はじめは日曜マチネーの貸切り公演の形で,入場料は一律とし,座席はくじ引きで決めた。14年には組織が拡大して自前の劇場と劇団をもつにいたり,第1次世界大戦中はM.ラインハルト監督に迎えている。20年代に組織はさらに発展し,ベルリンから全ドイツにまで広がっている。24年からはE.ピスカートルプロレタリア演劇を目ざす活動を始めたが,社民党系の会員には過激すぎて,彼は27年にここを去り,K.マルティンが監督となって多くの新即物主義的な戯曲上演した。ナチス時代には解体されたが,第2次大戦後分裂した東西ドイツでそれぞれの民衆劇場が復活した。東ベルリンでは54年に,ルクセンブルク広場に劇場が開設され,ベッソンの時代に黄金時代を迎えた。西ベルリンでは63年にふたたびピスカートルを監督に迎えて新しい劇場を開場,R.ホーホフートやP.ワイスの上演によって,政治演劇風潮をもたらした。西ドイツの観客組織としての民衆舞台は,ピークの1965年段階で参加団体104,会員数43万であったが,74年には会員数は27万5000に減少している。
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百科事典マイペディア 「民衆劇場」の意味・わかりやすい解説

民衆劇場【みんしゅうげきじょう】

ドイツの演劇観賞者団体,およびその劇場。自由劇場運動の影響を受け,労働者階級に低料金ですぐれた演劇を提供する目的で創立された。1914年には自身の劇場・劇団を創設し,地方都市を組織して発展。M.ラインハルト,E.ピスカートルらが活躍。第2次大戦後は東・西ドイツで復活。

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世界大百科事典(旧版)内の民衆劇場の言及

【ウィーン】より

…たとえば演劇がそうである。ブルク劇場のように宮廷劇場の系譜を引いてドイツ語演劇の古典的代表ともいうべき流れもあるが,それと対照的な〈民衆劇場Volkstheater〉がウィーン演劇の本来の顔である。18世紀から19世紀初めにかけてはそれは〈ハンスブルスト〉の道化を主役とした即興喜劇であった。…

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