改訂新版 世界大百科事典 「ストレーレル」の意味・わかりやすい解説
ストレーレル
Giorgio Strehler
生没年:1921-97
イタリアの演出家。少年時より音楽と演劇を愛しミラノのアカデミア・ディ・フィルドラマティチに学ぶ。1941年軍務に服するが,43年のイタリアの連合国軍への降伏とともに軍隊を脱走,対独レジスタンスに参加,のちスイスに亡命する。ジュネーブでは〈仮面座〉を結成,カミュの《カリギュラ》を演出した。45年のイタリア解放とともにミラノに戻り演劇活動を始める。47年にはP.グラッシとともにミラノ市当局に働きかけて〈ピッコロ・テアトロ〉(ミラノ・ピッコロ座)を設立。以後ヨーロッパ各国の古典,新作をきわめて高い水準で演出して,グラッシとともにピッコロ座を世界最高峰の劇団の一つに育て上げた。69-72年にかけては同座を去り〈演劇集団・行動〉を結成。しかし72年,グラッシがミラノ・スカラ座の総監督としてピッコロ座を去ることとなり,単独ディレクターとしてピッコロ座に戻った。彼の演出の仕事は二つの体系に分けられる。一つはB.ブレヒトの作品と思想に非常な親和力を示しながらの新解釈による叙事演劇の演出である。58年の《三文オペラ》,それに続く《セチュアンの善人》などが知られる。またもう一つは,同じ時期のイタリア劇文学の広範な読みなおしによるC.ゴルドーニ劇の再解釈とイタリア自然主義作家(カルロ・ベルトラッツィなど)の発見である。これにはゴルドーニの《二人の主人を一度に持つと》《田園三部作》《キオッジアの紛争》などのすぐれた演出がある。65年ころからこの二つの演出法が混合し融け合い一つの文体へと収斂する。この時期以降の演出として,シェークスピアの《リア王》《テンペスト》,ゴルドーニの《小さな広場》,チェーホフの《桜の園》,J.ジュネの《バルコン》などがある。なお《フィデリオ》《魔笛》などオペラも多く演出しており,スカラ座,パリ・オペラ座,ザルツブルク音楽祭で活躍した。
執筆者:溝口 廸夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報