ビラール(読み)びらーる(英語表記)Jean Vilar

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビラール」の意味・わかりやすい解説

ビラール
びらーる
Jean Vilar
(1912―1971)

フランスの演出家、俳優。南仏セート生まれ。1933年パリに出てデュランの舞台に感動、翌日アトリエ座の俳優学校に入り、バロー同期になる。42年独立して『死の舞踏』、45年の『寺院殺人』などの演出で注目を浴びた。47年には、アビニョン演劇祭発端となる教皇庁中庭の野外劇に『リチャード2世』で参加。端役に土地の人々を加え、音楽を重視したイメージ豊かな演出が好評をよび、以後この野外演劇祭を世界的な祭典に育てた。51年からはTNP(テーエヌペー)(国立民衆劇場)の総監督に任命され、バローと並び戦後フランス演劇の黄金期を築く。63年フリーとなり、翌年『オッペンハイマー調書』を上演したり、民衆オペラ運動にも取り組んだ。

[石澤秀二]

『ジャン・ヴィラール著、渡辺淳訳『ヴィラール演劇の事典』(1976・テアトロ)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビラール」の意味・わかりやすい解説

ビラール
Villars, Claude-Louis-Hector, Duc de

[生]1653.5.8. ムーラン
[没]1734.6.17. トリノ
ルイ 14世,同 15世時代のフランスの軍人。 19歳で騎兵隊長としてオランダ戦争,次いでファルツ戦争従軍。ベネチア大使 (1697~1701) となり,スペイン継承戦争では軍司令官として各地を転戦すると同時に,国内のカミザール戦争鎮圧。 1712年7月 24日,ドゥナンの戦いで F.オイゲンの率いるドイツ皇帝軍を破り,不利な戦局を転換し和平への道を開いた。摂政時代に国務会議に入り政治に参画した。 33年ポーランド継承戦争のとき,フランス軍元帥としてサルジニア支援のため北イタリアに進軍したが,トリノで病死した。

ビラール
Vilar, Jean

[生]1912.3.25. セート
[没]1971.5.28. セート
フランスの演出家,俳優。 C.デュランのアトリエ座の学校で学び,1914年巡業劇団ルーロットを組織,ストリンドベリ,T.S.エリオットなどの作品の演出で認められ,映画俳優としても活躍。 47年,アビニョン演劇祭を創設した。 51年パリ国立民衆劇場の監督に就任,以後,学生や労働者など新しい層の観客を開拓して,古典の現代化,外国劇の紹介を行なった。 63年退任後,オペラの改革などを志したが,五月革命で批判されてからは沈黙を守った。

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