水野久平(読み)ミズノ キュウヘイ

20世紀日本人名事典 「水野久平」の解説

水野 久平
ミズノ キュウヘイ

明治・大正期の発明家



生年
安政6年(1859年)

没年
大正6(1917)年2月5日

出生地
三河国宝飯郡三谷村(愛知県蒲郡市)

主な受賞名〔年〕
遠江織物同業組合感謝状〔大正2年〕

経歴
三河国に生まれ、明治20年静岡県浜松に移住。以来、織機や準備機・染色機・織物の発明を行い、生涯に特許9件・実用新案21件(当時、同県で最多)を取得するなど県下の産業発展に大きく寄与した。晩年には日本形染株式会社の技術顧問となり、大正2年には多年に渡る産業への貢献が評価されて遠江織物同業組合から感謝状を受けた。後進の指導にも熱心で、高柳遠市ら優れた弟子を育成。また別珍の発明者・寺田市十や須山式織機を発明した中村義平にも大きな影響を与えている。生け花師匠としても活躍するなど、その活動は多岐に渡った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水野久平」の解説

水野久平 みずの-きゅうへい

1859-1917 明治-大正時代の発明家。
安政6年生まれ。静岡県笠井村(浜松市)で織機,染色機,織物などの研究,開発をおこなう。生涯に特許9,実用新案21をえて,遠江(とおとうみ)地方の織物業界の発展をささえた。大正6年2月5日死去。59歳。三河(愛知県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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