永照寺(読み)えいしようじ

日本歴史地名大系 「永照寺」の解説

永照寺
えいしようじ

浄土真宗本願寺派。雲龍山と号し、本尊阿弥陀仏。小倉城下こめ町にあったが、平成二年(一九九〇)大手おおて町に移転。開基道証は村上直定という豊前国仲津なかつ今井いまい(現行橋市)武士で、大内氏に仕え、応仁の乱では摂津へ出陣するが、本願寺八世蓮如に弟子入りして得度、明応四年(一四九五)実如より阿弥陀仏一体本尊を付され、「倉府」(現小倉北区室町)一宇創建、摂津仏照ぶつしよう(現大阪府茨木市)末寺とされたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

百科事典マイペディア 「永照寺」の意味・わかりやすい解説

永照寺【えいしょうじ】

福岡県瀬高(せたか)町(現・みやま市)にある浄土真宗本願寺派の寺。応仁(おうにん)の乱後本願寺蓮如(れんにょ)に帰依した道証(どうしょう)が1495年創建。文化(ぶんか)年間(1804年―1818年)には真宗本願寺派の触れ頭として御坊の称を受け,豊前・筑前肥後・長門4ヵ国に129末寺があった。

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