永野重雄(読み)ナガノ シゲオ

20世紀日本人名事典 「永野重雄」の解説

永野 重雄
ナガノ シゲオ

昭和期の実業家,財界人 元・日本商工会議所会頭;新日本製鉄取締役名誉会長



生年
明治33(1900)年7月15日

没年
昭和59(1984)年5月4日

出生地
島根県松江市

出身地
広島県安芸郡下蒲刈町

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部政治学科〔大正13年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和34年〕,勲一等瑞宝章〔昭和45年〕,勲一等旭日大綬章〔昭和53年〕,コンパニオン・オブ・ジ・オーダー・オブ・オーストラリア勲章〔昭和55年〕,交通文化賞(第28回)〔昭和55年〕

経歴
大正13年浅野物産に入り、富士製鋼、日本製鉄を経て、昭和25年富士製鉄社長就任八幡・富士の大合併を推進し、45年合併後の新日鉄会長に就任、48年から名誉会長。財界活動では戦後21年の経済同友会設立に参加して代表幹事となり、44年からは15年間にわたって東京・日商会頭を務めるなど戦後の財界をリードし、政界にも大きな影響を与えた。また太平洋経済委員会会長、日ソ経済委員会代表委員などを歴任、民間経済外交にも尽力したが、明治の気骨を貫き通し、柔道囲碁など合わせて64段は自慢の一つだった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「永野重雄」の意味・わかりやすい解説

永野重雄
ながのしげお

[生]1900.7.15. 広島
[没]1984.5.4. 東京
実業家。 1924年東京大学法学部卒業。浅野物産に入り,翌年富士製鋼に移り,33年支配人となる。 34年,製鉄大合同で日本製鉄に移り,製鉄分割により 50年富士製鉄社長。 70年,八幡,富士両製鉄合併で新日本製鐵会長となり,73年相談役に退く。 46年経済同友会設立に参画,50年代表幹事。 52年東京商工会議所副会頭,69年日本商工会議所会頭となり,以後約 15年在任した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「永野重雄」の解説

永野重雄 ながの-しげお

1900-1984 昭和時代の実業家。
明治33年7月15日生まれ。永野護(まもる)の弟。浅野物産をへて,大正14年富士製鋼にはいり,合併後の日本製鉄の常務となる。昭和25年日本製鉄から分離した富士製鉄の社長,45年八幡製鉄と合併した新日本製鉄の会長。日本鉄鋼連盟会長,日本商工会議所会頭などをつとめた。昭和59年5月4日死去。83歳。島根県出身。東京帝大卒。著作に『大法螺(ほら)小法螺』。
格言など】不陥孤高 不恐孤独(座右銘)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「永野重雄」の解説

永野 重雄 (ながの しげお)

生年月日:1900年7月15日
昭和時代の実業家;財界人。日本商工会議所会頭
1984年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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