改訂新版 世界大百科事典 「新日本製鉄」の意味・わかりやすい解説
新日本製鉄[株] (しんにほんせいてつ)
正しくは〈しんにっぽんせいてつ〉と発音する。1970年3月,八幡製鉄(株)と富士製鉄(株)が合併して成立した日本最大,世界でも屈指の銑鋼一貫生産メーカー。同社の製鉄所は第2次大戦前から操業を続けている八幡,戸畑,広畑,釜石,室蘭のほか,戦後発足した堺,名古屋,大分,君津などであり,主要製品は条鋼,鋼板,鋼管などで,生産品種のバランスがとれている。またレール生産のシェアが高い。なお,鋼材以外に海外の製鉄所建設,海洋開発関連建設などのエンジニアリング事業の有力企業でもある。
新日本製鉄という名称には新しい〈日本製鉄〉という意味がこめられている。八幡製鉄と富士製鉄は戦前は半官半民の日本製鉄という同じ会社であったが,1950年に〈企業再建整備法〉によって分割され,それが20年後にふたたび合併したからである。当時,鉄鋼メーカーとして日本でそれぞれ1位と2位であった八幡製鉄と富士製鉄の合併については,賛否両論の激しい議論があった。資本自由化を前にして国際競争力(研究開発力など)の強化が必要という立場から,財界と通産省は賛成し,合併を支援した。他方,野党,経済学者は生産シェアの大きな会社が成立すると,自由競争が弱められるとの見解から強く反対した。合併の審査権を持つ公正取引委員会は1969年〈合併によって鉄道用レール,食缶用ブリキ,鋳物用銑鉄の3品目が独占禁止法に抵触するおそれがある(生産シェアが非常に高くなる)〉との見解を示したため,八幡と富士の両社は上記3品種について製造設備を他の鉄鋼メーカーに譲渡するなどの対応策をとることによって,合併にこぎつけた。なお両社が合併を意図した背景には,当時,後発の川崎製鉄,住友金属工業などが新鋭の大型製鉄所を建設して両社を追い上げていたので,合併による製鉄所の建設,管理の効率化を迫られていたという事情があった。
合併後は鉄鋼のリーディング・カンパニーとして,優れた鋼材の開発や効率が高く品質のよい鋼材の生産設備の開発に力を発揮している。また中国の上海宝山製鉄所の建設など海外への製鉄技術の輸出も盛んである。1973年秋の石油危機後,日本の鉄鋼業界は原燃料費の急騰と大幅な需要減退に伴う減産によって,単位当りの費用が著しく上昇し,深刻な不況におちいった。収益回復のためには経営の合理化とともに鋼材の値上げが必要であり,鉄鋼メーカーは従来の激しい競争から協調的な値上げへ行動様式を変えたが,この協調体制の形成に新日鉄のリーダーシップが大いに発揮されたといわれる。新日鉄は鉄鋼生産の伸悩みに直面して,エンジニアリングや石炭化学などの拡充による多角化を推進し,またニューセラミックス,スーパーアロイ,粉末冶金,チタン合金など新素材といわれる成長分野へ積極的に取り組み,素材の総合メーカーを目ざしている。なおマンモス企業新日鉄の首脳は財界の有力メンバーを構成し,政・財界に及ぼす影響が大きい。また,海外との経済交流にも重要な役割を果たしている。資本金4195億円(2005年9月),売上高3兆3894億円(2005年3月期)。2012年10月,住友金属工業と合併し,新日鉄住金となった。
→鉄鋼業 →日本製鉄[株]
執筆者:下田 雅昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報