日本歴史地名大系 「江波村」の解説
江波村
えばむら
江波新開の南に位置し、東は
毛利氏は厳島社を深く崇敬したが、参詣の折その乗船場として江波山の北側辺りが利用されたと伝え、また慶長一九年(一六一四)福島正則は大坂冬の陣のとき、「前かたより広島えばに有之、材木、竹取上せ候」よう命じている(福島正則書状「新修広島市史」所収)。元和五年(一六一九)の安南郡絵図に江波港に向けて航路が描かれ「瀬戸より七里」の記載があり、江波島の東岸に大坂および伊予方面よりの航路が開けていたことが知られる(広島市史)。
江波村
よなみむら
江波村
えなみむら
江波村
えなみむら
江波村
えなみむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報