小説家、脚本家。東京生まれ。本名池上金男(いけがみかねお)。静岡県立沼津商業高等学校卒業。第二次世界大戦中は満州(中国東北地方)で現地召集、3年間の陸軍生活を送る。このときの体験は、文芸評論家縄田(なわた)一男(1958― )によれば「それは、満州・沖縄・台湾を経てパラオの独立混成第三十大隊に属し、三千人が二十三、四人になってしまったペレリュー島逆上陸作戦を生き延び、更に台湾に戻って、近海で乗っていた輸送船が撃沈され、九百人中、八、九人だけが救助された中の一人であったり、或(ある)いは空襲で三時間余生き埋めにされたりと、正に苛烈(かれつ)の一語に尽きる」(『風塵(ふうじん)』文庫版解説)ものであった。
敗戦後の1949年(昭和24)、新東宝のシナリオ研究生となり、大映を経て脚本家として独立、大手映画会社6社の作品に携わり、63年『十三人の刺客(しかく)』『大殺陣』で京都市民映画祭脚本賞を受賞。映画脚本の代表作には『栄光への挑戦』『嵐を呼ぶ男』(ともに1966)、『無頼 人斬(き)り五郎』(1968)、『雲霧(くもきり)仁左衛門』(1978)などがある。79年本名で最初の小説『限りなき一つの道』を発表。戦没者遺族の団体日本民主同志会を結成した松本明重(あきしげ)(1914―90)をモデルにした、1000枚を超す堂々たる伝記小説であった。
1992年(平成4)、池宮彰一郎名義で初めて著した時代小説『四十七人の刺客』で新田次郎文学賞を受賞、また同作は山本周五郎賞の候補にもあげられた。94年『高杉晋作』「千里の馬」で直木賞候補となるが受賞は逸する。98年『島津奔(はし)る』で柴田錬三郎賞受賞。
これら池宮作品の根底に流れているテーマと思いは、歴史を真正面から描きながらも、その「歴史」は本当に志に殉じた者たちに報いてきたかという素朴な疑念である。そうした思いを結晶化しようとするとき、池宮はときに史料をほとんど無視する形で作品を書き上げることもあった。たとえば『四十七人の刺客』は忠臣蔵ものの一つだが、この歴史的事件について書く場合、目を通しておかなければならない史料は数百にも及ぶという。しかし池宮は、従来の史料にもとづいた挿話を完全に削除したところから構想を始めるのである。もちろんまったくの想像ではなく、あらゆる史料を渉猟し、目を通したうえで歴史を再構築していくのだ。それは、史料の記述と実際に起こった出来事との間に横たわる違和感のようなものを、本能的にかぎとっていたせいかもしれない。自らの戦争体験にしても、名もない多くの仲間たちが次々と死んでいく現実を目の当たりにしながら、その後編纂(へんさん)された史料にはそうした悲惨さが充分に伝わっていないもどかしさがあった。池宮が描く武将や剣客たちには、そんなかつての戦友の面影がにじみ出ている。そのため池宮作品の登場人物は、おしなべてすがすがしく、かつまた覇気に富んでいながら、どこかしら寂寥(せきりょう)感のある人物となっている。
2002~03年『遁(に)げろ家康』(1999)と『島津奔る』が、司馬遼太郎の『覇王の家』(1973)、『関ヶ原』(1966)と類似した記述が多くあるということで回収・絶版となる事件が起きるが、けっして作品の質そのものが問われたわけではない。その後歴史小説『平家』(2002~03)を発表、作家としての実力を改めて示した。
[関口苑生]
『池上金男著『限りなき一つの道』(1979・祥伝社)』▽『『平家』上中下(2002~03・角川書店)』▽『『四十七人の刺客』『島津奔る』(新潮文庫)』▽『『高杉晋作』(講談社文庫)』▽『『遁げろ家康』(朝日文庫)』
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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