日本大百科全書(ニッポニカ) 「池澤夏樹」の意味・わかりやすい解説
池澤夏樹
いけざわなつき
(1945― )
作家。北海道帯広市生まれ。父は作家の福永武彦。1968年(昭和43)、埼玉大学理工学部物理学科中退。物理学の知識に裏付けられた科学的なものの見方は、彼の作家としての特色の大きな一面を成している。1975年より3年間、ギリシアに滞在した。リチャード・ブローティガン、ジョン・アプダイクなど、現代アメリカ文学を翻訳するかたわら、ギリシアの自然に向かって伸ばされたような言葉によって詩集『塩の道』(1978)、『最も長い河に関する省察』(1982)を発表する。1984年、『夏の朝の成層圏』を刊行して小説家として出発。けっして早い出発ではないが、それ以前に古典を読み、現代文学を読み、いわば作家として充分な準備のあったことが、後の広範な活躍を約束している。1987年に『スティル・ライフ』で中央公論新人賞、1988年には芥川賞を受賞した。世界に対する科学的な理解と文学的な理解を融合したみずみずしい感性に貫かれた作品世界が特徴で、作者はつねに観察の対象となる自然に憧憬を感じているようだ。『真昼のプリニウス』(1989)、『バビロンに行きて歌え』(1990)、『タリマンドの木』(1991)といった作品を次々に発表し、長篇『マシアス・ギリの失脚』(1993)で谷崎潤一郎賞を受賞、小説家としての地位を確固としたものにした。
一方で、その科学的な世界像を文学的に語った、エッセイの形式を借りた評論で新境地を拓き、『エデンを遠く離れて』(1991)、『母なる自然のおっぱい』(1992。1993読売文学賞受賞)、『楽しい終末』(1993。1994伊藤整賞受賞)などを刊行。自然と人間のありかたを、盲目的な自然賛歌でも単純な自然保護でもない視点から知的に探っている。1994年(平成6)、沖縄に移住する。
初期の詩集から一貫している自然に対する憧憬は、やがてジャーナリズムの手法を駆使した『ハワイイ紀行』(1996)に結実し、同作はJTB出版文化賞を受賞(1996)した。卓抜な読書家としても知られ、『ブッキッシュな世界像』(1988)、『読書癖』1~4(1991~1999)、『小説の羅針盤』(1995)など、本や作家を題材にした著作も多い。エッセイのシリーズに「むくどり通信」(1993~1998)がある。小説も『マシアス・ギリの失脚』以降意欲的に書きつづけられており、『花を運ぶ妹』(2000。毎日出版文化賞受賞)、『すばらしい新世界』(2000。芸術選奨受賞)などがある。また、『新世紀へようこそ』(2002)では2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件に対しても積極的に発言している。2003年(平成15)司馬遼太郎賞受賞。翻訳に、リチャード・ブローティガン『チャイナタウンからの葉書』(1977)、カート・ボネガット『母なる夜』(1984)、E・M・フォースター『ファロスとファリロン』(1994)、「Dr.ヘリオット」シリーズなどがある。ほかに、少年向けの短編集『南の島のティオ』(1992。小学館文学賞受賞)がある。
[田中和生]
『『読書癖』1~4(1991~1999・みすず書房)』▽『『小説の羅針盤』(1995・新潮社)』▽『『新世紀へようこそ』(2002・光文社)』▽『『夏の朝の成層圏』『スティル・ライフ』『真昼のプリニウス』『すばらしい新世界』(中公文庫)』▽『『タリマンドの木』『南の島のティオ』『楽しい終末』『花を運ぶ妹』(文春文庫)』▽『『エデンを遠く離れて』(朝日文芸文庫)』▽『『バビロンに行きて歌え』『母なる自然のおっぱい』『マシアス・ギリの失脚』『ハワイイ紀行』(新潮文庫)』▽『『ブッキッシュな世界像』(白水Uブックス)』▽『池澤夏樹著『見えない博物館』(平凡社ライブラリー)』▽『E・M・フォースター著、池澤夏樹訳『ファロスとファリロン』(1994・みすず書房)』▽『カート・ヴォネガット著、池澤夏樹訳『母なる夜』(白水Uブックス)』