帝政期ローマの軍人、行政官、歴史家、博物学者。大プリニウスともよばれる。裕福な騎士を父として北イタリアの小都市コムム(現、コモ)に生まれ、軍人となり、主として北方ゲルマニアで勤務した。その後、法廷活動に従事するかたわら歴史、文法、修辞学などを研究していたが、皇帝ネロの末年(67/68)にユダヤ反乱鎮圧中のローマ軍司令官ウェスパシアヌスの息子ティトゥスの幕僚となり、ネロ死後の内乱に参加した。ウェスパシアヌスの皇帝即位(69)後は、属州プロクラトルprocuratorを歴任し、宮廷でも重用された。ミセヌムを基地とする艦隊の司令官となったが、79年8月24日ウェスウィウス火山(ベスビオ火山)が噴火すると艦艇を率いて調査・救助に赴き、噴煙に巻き込まれて死亡した。天文、気象、地理、人類、動植物などを解説した有名な『博物誌』37巻のほか、多くの著作がある。とくにその歴史作品は、タキトゥスなど後代の歴史家によって参照されているが、現存していない。
[島田 誠]
『中野定雄他訳『プリニウスの博物誌』全3巻(1986・雄山閣出版)』
ローマの政治家、弁論家、著作家。北イタリアのコムム(現コモ)生まれ。小プリニウスともよばれる。早く父に死別し、母方の叔父である大プリニウスの養子となる。法廷弁論家として活躍する一方、政治家としても数々の重要官職を歴任し、110年ころビテュニア州総督に任じられ、当地で死亡したと思われる。タキトゥスやスエトニウスらと親交があり、文筆活動も行った。現存する著作としては、100年のコンスル(執政官)就任に際してのトラヤヌス帝への『頌詞(しょうし)』Panegyricus、および『書簡集』Epistulae(10巻)があり、とくに後者は、ウェスウィウス(ベスビオ)火山の大噴火の模様と叔父の死に関する手紙や総督在任中のキリスト教徒に対する処置など、貴重な報告を多く含み、当時のローマ社会を知るうえできわめて重要な史料である。
[島 創平]
『『プリニウス書簡集』(講談社学術文庫)』
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61頃~113頃
古代ローマ帝政期の政治家,著述家。プリニウス(大)の甥かつ養子。政治家としてはトラヤヌス帝の信任を受けて小アジアのビティニア州総督などを務め,文人としては『書簡集』を残した。
23頃~79
古代ローマ帝政期の騎士身分の軍人で学者。『博物誌』の大著がある。ウェスウィウス火山の爆発のとき,艦隊司令長官として殉職した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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