池田正式(読み)いけだまさのり

精選版 日本国語大辞典 「池田正式」の意味・読み・例文・類語

いけだ‐まさのり【池田正式】

江戸中期の俳人狂歌師大和郡山藩士松永貞徳門下俳論に「古保里山(こおりやま)」、狂歌に「堀河百首題狂歌集」がある。生没年不詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「池田正式」の意味・わかりやすい解説

池田正式 (いけだまさのり)

江戸前期の俳人。生没年不詳。貞徳門。通称十郎右衛門。早くから京都で和漢の学を修め,1631年(寛永8)播州姫路本多政勝に仕官,39年主君の転封に従って大和郡山に移る。家中内紛と病弱に悩み,浪人して奈良移住寛文末年ごろ自害したと伝える。著書は《毛吹草(けふきぐさ)》の難書《郡山》のほか,《土佐日記講注》《堀河狂歌集》等。〈今宵三五あすみん月やしゝが谷〉(《玉海集》)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「池田正式」の意味・わかりやすい解説

池田正式
いけだまさのり

生没年未詳。江戸前期の俳人、狂歌作者。寛文(かんぶん)年間(1661~1673)かなりの高齢で没か。通称重右衛門(重郎左衛門とも)。大和郡山(やまとこおりやま)藩士。貞徳門。俳諧(はいかい)作品は重頼(しげより)編『毛吹草(けふきぐさ)』(1638序)以下に多く入集。その『毛吹草』に対する非難書『郡山』(1646刊)は正式の著とされる。狂歌には平郡実柿(へぐりさねがき)、布留田造(ふるのたつくり)の戯号で自歌200首を百番にあわせた『狂歌百首歌合』がある。

 時鳥(ほととぎす)鳴きつるかたをながむればただあきれたるつらぞ残れる
森川 昭]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池田正式」の解説

池田正式 いけだ-まさのり

?-? 江戸時代前期の俳人,狂歌師。
大和(奈良県)郡山(こおりやま)藩士。安原貞室,松永貞徳にまなぶ。松江重頼の「毛吹草」を非難して,正保(しょうほ)3年「郡山」をあらわした。のち浪人し狂歌に転じた。通称は十郎右衛門。狂号は平群実柿(へぐりの-さねがき),布留田造(ふるの-たつくり)。著作に「あやしぐさ」「堀河百首題狂歌集」など。

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世界大百科事典(旧版)内の池田正式の言及

【狂歌】より

…安土桃山時代の狂歌作者には,南禅寺の住持にまでなった禅僧で《詠百首狂歌》の作者雄長老,当代歌学の権威細川幽斎,碁の名人本因坊算砂,豊臣秀吉の御伽衆(おとぎしゆう)大村由己,狂歌百首をのこした聖護院道増,《醒睡笑》の作者で浄土宗誓願寺の住職安楽庵策伝,公家の烏丸光広らがあり,それぞれの道の第一級の人々が余技として狂歌を楽しんだ。寛永以後は貞門俳人が中心で,松永貞徳,斎藤徳元,半井卜養,池田正式(まさのり),石田未得,高瀬梅盛らにまとまった作品があり,俳諧点取りの奥書に狂歌が応酬されていたりする。《古今夷曲集》の生白庵行風(せいはくあんこうふう)や《鳩の杖集》の豊蔵坊信海(ほうぞうぼうしんかい)になると,俳諧より狂歌に重点が移ってくる。…

※「池田正式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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