重頼(読み)しげより

精選版 日本国語大辞典 「重頼」の意味・読み・例文・類語

しげより【重頼】

  1. まつえしげより(松江重頼)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「重頼」の意味・わかりやすい解説

重頼
しげより
(1602―1680)

江戸前期の俳人松江氏。俗称大文字屋治右衛門。別号維舟(いしゅう)ほか。貞門(ていもん)七俳仙の一人。京都の撰糸(せんじ)(絹織物の一種)売(うり)を業とする富裕な町人であったという。少年のころ昌琢(しょうたく)に連歌を学び、宗因(そういん)(後の談林(だんりん)派の総帥)と相知る。20歳のころから貞徳(ていとく)を中心とする人々と俳席を重ね、1633年(寛永10)には近世最初の俳諧撰集(はいかいせんしゅう)『犬子集(えのこしゅう)』を刊行。このとき、共編者親重(ちかしげ)と衝突、貞徳の門を去って独立した。以後、俚諺(りげん)収集書としても著名な作法書『毛吹草(けふきぐさ)』や、芭蕉(ばしょう)が宗房(そうぼう)の号で初めて登場する『佐夜中山(さよのなかやま)集』ほか多くの編著を刊行した。作風は和歌、物語、謡曲など古典のパロディーを好み、ほかに俳諧用語の整備と拡充を図り、俳諧の普及と革新に功があった。生涯を論争に送ったが、鬼貫(おにつら)、言水(ごんすい)らの優れた門人を輩出、延宝(えんぽう)8年6月29日没。享年79。

[加藤定彦]

 順礼の棒ばかり行く夏野かな

『中村俊定著『俳諧史の諸問題』(1970・笠間書院)』『「俳諧論戦史」「維舟と立圃との確執」(『潁原退蔵著作集4』所収・1980・中央公論社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「重頼」の意味・わかりやすい解説

重頼 (しげより)
生没年:1602-80(慶長7-延宝8)

江戸前期の俳人。姓は松江,通称は治右衛門,別号は維舟,江翁。出雲国松江の生れと伝えられるが,早くから京都に住し,撰糸(せんじ)売を営んで大文字屋を号した。貞門七俳仙に加えられるが,本来は里村南家の2代昌琢(しようたく)に連歌と俳諧を学び,北家出身の貞徳とは文学的にも感情的にもむしろ対立的関係にあり,俳諧最初の類題句集《犬子(えのこ)集》(1633)の編集をめぐって,共編者である北家出身の立圃(りゆうほ)と意見が衝突,袂を分かったのをきっかけに,貞徳との不和も表面化した。〈天性剛正ニシテ誤ヲ見テ止ル事ナシ〉(《誹家大系図》)と評された剛腹・強情な性格のために,貞室,正式(まさのり),春澄(はるずみ)ら多くの人々との論争に明け暮れる生涯を送った。しかし一方,南家同門の宗因とはちなみ深く,その縁で《懐子(ふところご)》(1660),《佐夜中山(さよのなかやま)集》(1664),《時勢粧(いまようすがた)》(1672)等に大坂俳人の新風をあまた掲載し,談林俳諧育成の役割を果たした。彼自身の俳風は,〈古風にもあらず,当風にも似ず,一くねりくねりたる作意,我一流をたてたる物〉(《俳諧綾巻(あやのまき)》)というに尽きる。〈やあしばらく花に対して鐘撞く事〉(《佐夜中山集》)。
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百科事典マイペディア 「重頼」の意味・わかりやすい解説

重頼【しげより】

江戸前期の俳人。姓は松江。別号,維舟,江翁。通称,大文字屋治右衛門。京の富裕な選糸商で,昌琢に連歌を学び,貞徳に俳諧の指導を受け,宗因と交流を持った。貞門風の句作りを基盤にしながら〈心の俳諧〉〈連歌立の俳諧〉を主張,また,謡曲などの新しい素材を俳諧に導入する傾向があった。1633年に近世俳諧の出発点というべき撰集《犬子集(えのこしゅう)》を単独で出版,他に《毛吹草(けふきぐさ)》《懐子(ふところご)》などの編著がある。
→関連項目鬼貫

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「重頼」の解説

重頼 しげより

松江重頼(まつえ-しげより)

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